イギリス スコーピオンシリーズ CVR(T) FV-101

イギリス スコーピオンシリーズ CVR-T FV-101

Neverや一部サイトに勝手に引用されている当サイト。

AFVに関してはPANZERにも負けない記事だと自負していますが、

勝手に引用コピーするのは、、やってください!!

なんぼでもコピーしてください。

日本の国民に少しでも軍事安全保障の認識が深まるなら、どんなに使ってくれてもOKです。

で、今回は

イギリスのスコーピオンシリーズ

について、

イギリスはAFVの開発において、常に革新的で挑戦者である。
戦車の母、Mk1しかりチョバムアーマーしかり、105mm砲もしかりである。
戦車の母国として、何でも「とにかくやってみる精神」があるように思う。

スコーピオン軽戦車を代表とするCVR(T)シリーズは1970年からイギリス陸軍が配備した装軌装甲車(いわゆるキャタピラー【履帯】で走行する)のファミリーで、空輸可能な軽量な部類の戦闘装甲車。軽量と言っても、「装甲」がなされているので、乗用車くらいのサイズだが8トン程度の重量。中型のトラックよりも重い。
しかし、装甲戦闘車AFVの中では40トンを超える戦車(MBT)に比べると軽量。普通の輸送機、C-130ハーキュリーズの積載重量が20トン弱なので、C-130に2輌が搭載可能で、荷物室のサイズにも収まる。逆に、当時、西側諸国で戦車が輸送できる輸送機は米国のC-141スターリフターと世界最大のC-5ギャラクシーだけでした。NATO主要国でさえ、戦車は船で運ぶしかなかった。
でも、かつて世界帝国と呼ばれた英国には沢山の海外領土が存在し、フォークランド紛争を見れば分かるように、海外領土の防衛は極めて困難で、広く全世界に軍隊を置くより、一旦急あれば即座に展開する方が効率的と考えたのだ。
航空輸送であれば全世界どこへでも、給油地さえ確保できれば約1日間で輸送できるので、展開先で機甲戦力(装甲を持った戦力)を遠隔地に派遣するために、CVR(T)のシリーズには被空輸性能が求められたのだ。

軽量コンパクトな装甲車のファミリー

乗用車並みの大きさと、エンジンも車と同じながら、大砲を有し、
水の上も、空も(輸送機)、海も(船)行くAFV,
それがスコーピオンシリーズ、名称は頭文字がSで始まる単語になっている。頭文字がファミリーで共通なのはイギリスの命名方法の基本です。
  • FV101スコーピオン
  • CVR(T)シリーズ FV101 スコーピオン
    CVR(T)シリーズ FV101 スコーピオン
  • 76mm砲装備で最も大きな火力を持つスコーピオン
    しかし、当初より戦車に対する能力は疑問視され、戦車に対しては当時開発されたばかりのスウィングファイヤーミサイルを使用する予定で、実際、スコーピオンの初期型にはスウィングファイヤーミサイルのランチャーを装備した、仏AMX-15のミラン対戦車ミサイル搭載バージョンの様な車輌が存在した。
  • FV102ストライカー戦車駆逐車
  • FV102_Striker_owned_by_Malcolm_McMillan_pic04
    FV102ストライカー戦車駆逐車
  • 対戦車用にスウィングファイアの5連装ランチャーを備えた、対戦車バージョン
  • FV103スパルタン装甲兵員輸送車
  • FV103_Spartan_IFOR
    FV103スパルタン装甲兵員輸送車
  • APCバージョン(兵員輸送用装甲車輌)
  • FV104サマリタン装甲救急車
  • FV104_DN-ST-92-07952
    FV104サマリタン装甲救急車 右はFV430
  • 装甲救急車
  • FV105サルタン装甲指揮車
  • FV105_Sultan_IFOR
    FV105サルタン装甲指揮車
  • FV106サムソン装甲回収車
  • FV106_Samson_CVR(T)_ARV
    FV106サムソン装甲回収車
  • FV107シミター装甲偵察車
  • FV107_CVRT
    FV107シミター装甲偵察車
  • イギリスの誇るラーデン30mm機関砲を搭載した偵察車バージョン
  • FV101セイバー偵察装甲車
  • FV101スコーピオンにフォックス装甲車の砲塔を搭載したバージョン。FV101と呼ばれていたか不明。

錚々たるシリーズの揃えで、これほど完成された統一コンセプトの装軌式装甲車のシリーズは他に見当たらないだろう。
イギリスはCVR-Tよりも大型のFV430シリーズを既に共通車台で開発・生産していたので、車体設計を共通化してシリーズ化するコンセプトには自信があったのだと思われる。
また、今では想像できないが、冷戦期に、西ヨーロッパ正面で、西ドイツとともにソ連の大機甲軍団と最初にぶつかり、それを米軍の来援迄足止めする主力在欧機甲戦力を誇っていたイギリス陸軍の充実度を物語っている。(東西関係が緊張していた1970年代には戦車1200輌以上を装備)
ちなみに、フランスは当時のNATOからは脱退していたので、西ドイツ、ライン川を支えるのは西ドイツとイギリス、アメリカの欧州派遣部隊のみだった。フランスはNATOの戦略に協力するものの、通常戦力だけでソ連軍に抗するのは難しいと見ていたため、独自の核戦力の装備によって食い止めるしかないと見ていた。ソ連が西ドイツに侵攻すれば、フランスはその軍を叩くために、西ドイツ領内へ核攻撃する選択肢を持ちたかったので、NATOの戦略には同意できなかった。
まあ、理由は他にもあるが、米国の来援迄の時間稼ぎのために、虎の子の自軍機甲戦力を、自国領土外(西ドイツ)で使い切る方針に納得出来なかったのは想像できる。これ以後一貫して、フランスの安全保障戦略は米国を中心とした戦略からの独立を目指し、核戦力や偵察・諜報活動も自国で賄えるように努力し続けている。フランスのこの努力の成果の一つが航空機メーカー「エアバス」である。この航空機メーカーはフランスの血みどろの努力・なりふり構わない売り込みなくして大きくなれなかった。

話がだいぶそれたが、

FV101スコーピオン
NATOの訓練でドイツ国内で訓練するBOAR、イギリスライン軍に所属しているFV101スコーピオン

イギリスは、何としても西ドイツ領内でソ連軍を足止めし、米軍の来援を待つという戦略を実行するために、強大なソ連軍に直接立ち向かう必要があったので、相応に強大な陸軍機甲部隊を有し、そのほとんどを西ドイツ領内に置いていた。イギリスは陸軍がドイツで敗北しても、海で大陸と隔てられているので、フランスほど、負けた時や米国の来援が遅かった時の心配はしていなかったので、陸軍戦力の主力をドイツに置くのは、戦略的に正解だった。

逆に、西ドイツ正面での戦争でなく、中近東や海外領土で軍事力が必要になった時には、ドイツに駐留している軍の移動が大変だった。例えば、イギリス本土への直接上陸攻撃があった場合、ドイツから大部隊を短時間で移動させるのは難しい。ひと際大重量のチーフテンのような戦車を装備しているイギリス陸軍にとって、海上輸送に頼らず、ある程度の機甲戦力を即応展開する必要性も高かった。さらに、本土防衛の危機は低いものの、ジブラルタルやフォークランドなどの海外領土や中近東の海外権益などを軍事力で防備しなければならない可能性は高かった。第二次中東戦争の経験などはCVR(T)の開発に反映しているだろうし、実際に起こったフォークランド紛争で、その開発・装備の意義は証明されたと言っていいだろう。相手に主力戦車が存在せず、スコーピオンシリーズが唯一の機甲戦力だったのがフォークランド紛争だった。イギリスの軍事コンセプトはハリアー戦闘機とCVR(T)によって正しさが証明されたのだ。開発者冥利だったろうと思う。

同一設計の車体を共用していればメンテナンス部品の供給も簡単になり、戦地での稼働率も高くなり、補給物資そのものが節約できる。CVR(T)シリーズなら、空輸のみで輸送できる装備だけで、独立で行動できる機甲部隊を編成可能だった。その目的のために、装甲兵車から救急・回収・指揮・偵察など様々な任務をこなす多彩なシリーズになるのは必然だったのだろう。

ストライカー旅団
米国陸軍のストライカー旅団は装備がストライカーのファミリーで揃えられた戦略機動性の高い部隊

同様のコンセプトで部隊の装備をシリーズでそろえるというのは米軍のストライカーシリーズで行われている。ストライカーは装輪装甲車だが105mm砲を備えたMGS機動砲から回収車や工兵車輌まで全部ストライカーの派生型でそろえている。ストライカーはC-130輸送機で輸送可能な仕様であったが、装甲防御性能を高めるにつれ、また派生型を開発するにつれて、大型化し、現在は装輪走行による戦略機動性が重視されている。どちらにしても、主力装備より軽量で使いやすく、シリーズ化することでどの用途の車輌も同じ扱いで運用できる点は同じである。
まあ、当時はイギリスの主要軍事産業が淘汰され始めたころで、1つの会社がシリーズの生産を独占したところで、他社が文句を言える状況でなかったのも理由のひとつだろう。注文する側・イギリス政府にすれば同一車体のシリーズの方が安くなるし運用も楽なので、相対的に弱体化しつつあったメーカー側に対して、政府側が開発を主導することで無用な競争を排除し、割とスムーズに開発が進んだのだろう。

スコーピオン戦車FV-101の性能諸元

全長 4.388 m
車体長 4.388 m→4.794 m
全幅 2.184 m
全高 2.096 m
重量 7,960 kg→8,073 kg
懸架方式 トーションバー式
速度 87 km/h (整地)
6.44 km/h (水上)
行動距離 644 km
主砲 L23A1 76mmカノン砲×1
(弾薬搭載量 40発)
副武装 L37A1 7.62mm同軸機銃×1
(弾薬搭載量 3,000発)
エンジン ジャガーJ60 No.1 Mk.100B ガソリンエンジン
→カミンズBTA 5.9Lディーゼルエンジン
195馬力
乗員 3名

サラディン装甲車の後継車として

もともと、イギリスは第二次大戦中に多種多様な装甲車のシリーズを運用していた。
自動車関連の技術の蓄積もあり、第一次大戦後の次世代装甲車輌の模索の中で多様な装甲車を開発してきたイギリス軍は、大規模な軍事力の削減と機甲軍という新しい用兵の出現に戸惑いながら、まさに試行錯誤で装甲車を開発・装備していた。
主な装甲車を開発生産したメーカー数だけでも10を超えるのではないだろうか。
ダイムラー、
AEC、
ロールスロイス、
ガイ、
オースチン
ベッドフォード、
スタンダード
モーリス
など、思いつくだけでもかなりある。

さらに、イギリス軍が自国本土の戦争に注力したために、カナダ、オーストラリア、南アフリカなどの防衛に手が回らなくなった。イギリス連邦諸国は独自に新時代の戦争に対処するため、装甲車を開発し、生産した。
それがヨーロッパ前線でも使用されたために、アフリカやフランスのイギリス連邦軍は多種雑多な装甲車を運用することになった。
クォードガントラクターやマーモン・ヘリントン装甲、ローバー装甲車、ライノー装甲車などだ。

大戦中は必死になっているし、アメリカ合衆国からの資金援助があったので、どんなに雑多な物でも買って作って配備していたが、戦争が終わってみると、到底管理できないほどの種類にわたり、整備部品もバラバラで、イギリス1国で補給を維持することは不可能だった。

問題点ははっきりしていたので、イギリス軍の必殺、軍事委員会を組織して、統一したシャシーの装甲車を開発することになった。
第二次大戦後、最初に開発された装甲車シリーズがアルビス社のサラディン装甲車のシリーズである。イギリス軍らしく、命名規則も統一、「S」から始まる単語を使うことになった。主力戦車が「C」から始まる名前なのと同じく、このシリーズ以後も、軽装甲車は「S」から始まる名前になっている。

サラディン装甲車
サラディン装甲車、6輪の装甲車で簡素な作りで耐久性があり、世界各地で使用されたベストセラー装甲車

サラディン・シリーズ、FV600シリーズは装輪装甲車で、サラセンなどの兵員輸送車などが派生型として開発された。
堅牢で簡易な作りで、小型に作られたシリーズは大成功し、ただの労苦になりつつあった植民地経営に活躍した。

このサラディン・シリーズの成功があったので、後継車輌もシリーズ化しようとしたのは納得できる。ちょうどサラディン装甲車に代わる偵察装甲車輌としてスコーピオンを開発し、その他、小型の装甲車輌としてシミターや兵員輸送型などを開発した。
前述のように、この頃には植民地は次々と独立していたが、ソ連との対立が深まるにつれ、新たに、ヨーロッパ本土やその他の戦地にすぐに派遣できるような被輸送性が重視されるようになった。

FV430シリーズ
FV430シリーズ(写真はFV432APC)はCVR(T)シリーズよりも前に開発された、より大型の装軌装甲車シリーズ

イギリスはスコーピオン・シリーズ(CVR-T)とほぼ同時期(少し前)に、より大型のFV430シリーズも開発し、各種派生型とともに配備運用している。FV430シリーズと対比して分かるように、スコーピオンにはより軽量で迅速に派遣配備できるというコンセプトがあった。

生産と配備

CVR(T)シリーズの計画は1960年初頭に始まり、実際の生産は1970年なので、計画から生産・配備まで10年かかっている。
世界に散らばる植民地などの防衛のために、軽量で運びやすい装甲戦闘車として要求されたものなので、被空輸性は重視された。その後、イギリスの海外植民地は次々に独立し、強大な米ソの狭間で、旧宗主国がなんら軍事的な影響力を行使できなくなったのでシリーズの完成時には、植民地での防衛任務はほぼ無くなっていた。イギリス陸軍としては、「必要だ」と要求したので、ひっこみもつかず、「西ドイツって海外じゃん」(ドーバー海峡わたるだけ)の理屈で、海外派遣任務用車輌としてスコーピオンシリーズの開発は進んだのだろう。

仕様設計はイギリス軍の開発部が行った。2次大戦当時の戦車委員会のなごりか、イギリス陸軍の装備は軍側が行うことが多い。軍の技官にも野心的で優秀な人材が多く、企画開発を行えるだけの能力があったのもその理由だろうか。
優秀なサラディン装甲車の後継車輌として企画されたので、当然、装輪装甲車も検討されたが、結局、一本化されず、両方とも開発されることになり、装軌型がCVR(T)(Combat Vehicle Reconnaissance Tracked)となり、装輪型はCVR(W)(Wheeled)となった。CVR(W)はフォックス装甲車FV721のシリーズである。同一の目的の軍用車輌を装軌式と装輪式でそろえてしまうとは、今では考えられない大盤振る舞いだが、ソ連軍の脅威がそれだけ大きかったのだろう。また、輸出の見込みもあったのだと思う。安価な装甲車が欲しい小国にとっては、今も当時も、装輪式の方が扱いやすいからだ。

ホーカーシドレー・AW660アーゴシー
ホーカーシドレー・AW660アーゴシー 戦闘車の輸送のために大きな貨物室を持つ。イギリスとヨーロッパ本土間を運ぶ能力が必要だった

当時、イギリスがこれを輸送させようと考えていた輸送機はホーカー・シドレーAW660アーゴシーで大きな胴体を持ち、13トンまでの積載が可能だった。当初は鋼鉄装甲の車体で設計されたが、重量が超過した。また、アルミ装甲の性能が上がり、相応の耐弾性を有するようになったので、アルミ合金の装甲が採用され、何とか厳しい要求仕様を満たした。シリーズの派生型を含め、ほぼ同じ重量制限を守っているので、設計開発がしっかりしていたと分かる。
CVR(T)は最初にスコーピオンとなる軽戦車型が設計・試作された。開発目標が、空輸可能な対戦車能力を備えた装甲車輌だったので、最初にサラディンと同じ76mm砲を備えたタイプを試作しているのだ。当時は対戦車ミサイルも実用化され始め、軽車輌にも本格的な対戦車能力を持たせることが可能なのではと考えるようになっていた。MBT70が主砲にミサイルを選ぼうとしたのと同じことだろう。
このような設計目的のために、スコーピオンも主砲に加えミサイルも搭載する予定だった。AMX-13と同じようなスタイルだろう。
さらに、核戦争下での行動が必須とされ、密閉空間での居住性も重視された。試作型には油気圧式サスペンションも使われていたが、後にトーションバー式に落ち着いた。

AFV界のスポーツカー

エンジンも当初ロールスロイスのエンジンが想定されていたが、後に、スポーツカーメーカーのジャガー社製J60 No.1 Mk100B型ガソリンエンジンに換装され、履帯の改良や車体の軽量化もあって、最高速度77km/hを出せた。まさにAFV界のスポーツカーであった。このエンジンは変速装置などと一体化され、今風のパワーパックとなった。

生産はアルヴィス社

原型のスコーピオンが完成すると、イギリス軍は生産担当を決める入札を1967年に行い、サラディン装甲車を生産していたアルヴィス社が順当に落札し、1969年1月に試作1号車が完成した。仕様設計が優秀で、試作1号車は期日通りに完成したという。17輌の試作ののち、1970年5月、アルヴィス社は量産契約を受注した。最初の量産モデルは1972年に完成した。さらにベルギー軍が約700輌の注文したので、同車の量産数は2000輌を超えることになった。その後、ヨーロッパ各国、アイルランド、スペイン、アジアのフィリピンやタイ、インドネシア、イラン、ヨルダンからも注文が入って、総計3500輌を超える生産数になった。

CVR(T)(スコーピオン)シリーズの構造

車体

武装は派生型ごと変わるので、まず、共通部分の説明から。
車体はアルミ合金装甲の溶接構造。フロントエンジンなので、操縦手の前方にエンジンが位置している。CVR(T)シリーズはすべてSで始まる名称がつくが、最初のスコーピオン(Scorpion;蠍)はフロントエンジンの為に砲塔が後方に位置し、蠍が尾の先の針を持ち上げる様から思いついたという。フロントエンジンであることは、装甲兵車など後方に兵員室を設けやすいなど利点が多い。エンジンの取り換え用のハッチが最前部にくるのが弱点となるが、そもそも小火器への耐弾性しか求めない設計ならばこの方が良い。
エンジンを含めた配置は、前方から主機、トランスミッション、操縦手、戦闘室、弾庫となっている。NBC防御装置、つまりフィルター付き換気装置は、場合弾庫内に設置するので、その場合、搭載段数が減少する。
河川の多いヨーロッパ正面での戦闘を想定し、CVR(T)全シリーズに浮航能力があり、スコーピオンなどの初期に生産された車輛にはフェンダーからの外周の枠にテントを畳んだようなキャンバスのようなものがぐるっと取り付けられている。これが浮航時のフロートになり、5分で展張可能。近年は使用することが少なくなったので、改修時に取り外されることも多い。

エンジン、動力

エンジンは先に述べたように、ジャガー製のガソリンエンジンJ60 No.1 Mk100B型で195馬力を発揮する。耐久性を向上させるために、出力は抑えてある。後に、やっぱりディーゼルエンジンいいなという現場の声にもおされ、英パーキンス社製T6-3544型(155hp)を搭載したものの、出力が物足らず、純英国製というこだわりを捨ててアメリカ・カミンズ社製の6BTA5.9型ディーゼルエンジン(190hp)を載せることになった。全車が改修されたのではないと思う。
トランスミッションは遠心クラッチ式でチーフテン戦車の小型版。サスペンションはトーションバー方式。大きめの主転輪5個で上部支持転輪はない。前部駆動式で履帯はマンガン鋼。メーカーは不明、ディール社ではないな。履帯にパッドを付けるとエンジンの性能もあって、高速でかつ普通のトラック並みに静かだったらしい。

武装

FV101スコーピオン

主砲:ロイヤル・オードナンス製76mm戦車砲L23A1
副武装:7.62mm機銃L34A1
対装甲用としてHESH弾を使用する。HESH弾は装甲に張り付いた状態で炸薬を爆発させ、衝撃で内側の装甲を剥離させる弾種。小口径でも戦車などにダメージを与えられる弾だ。最大射程3500mと性能表にあるが、視察装置が貧弱なので、実際の戦闘では1500mが限度だろう。鋼球の入った対人用弾もある。最近、不正規戦闘のためにM1やメルカバも装備するようになった弾種を当時から装備しているのはさすがイギリスの先見の明だろう。

この主砲に合わせた照準装置は簡素で光学式、夜間暗視装置付きのマルコーニ社製照準装置だった。車長用と砲手用にそれぞれ大きめの装置がハッチ前にあるので分かりやすいと思う。簡素ではあるが、偵察を主任務にしているだけあって索敵しやすそうだ。1980年代以降、改良型としてレーザー測遠器を取り付けたものもあるが、そもそも低速の76mm砲なので、全車に取り付けたとは考えにくい。

FV102ストライカー

主武装:スウィングファイア有線誘導対戦車ミサイル 5連装発射機
スウィングファイアミサイルの5連装の発射機を車体上部に装備する対戦車ミサイル型。敵MBTにはこの車輛で対抗することになっていた。ミサイルの全長は約1m。射程4000m、秒速185mで飛翔し、第一世代の優先誘導方式で誘導される。命中迄射手がミサイル本体を操縦して操るリモコン式なので、戦場で命中させるには高度のスキルを要した。後期型のミサイルはビームライディング方式に改良されている(射手は目標を指示しミサイルがその指示点を目指して飛んでいく)。貫徹能力は通常装甲鋼板換算で800mmの能力を持ち、当時のソ連戦車を撃破可能。
このミサイルは湾岸戦争の頃まで装備されていて、実戦でも使われている。

FV107シミター装甲偵察車

主武装:ラーデン30mm機関砲L21A1
3発ずつの弾倉を使うので、常にバースと射撃する機関砲。性能は優秀で今でも使用されている。イギリスの砲装備の開発能力の高さを証明している。砲口初速はAPDS弾で秒速1200mを超える。最大射程2000m、射距離1000m程度なら敵装甲車やMBTの側面装甲なら貫通可能。
ちなみに、セイバー偵察装甲車も元は同じ機関砲を搭載するフォックス装甲車の砲塔を搭載しているので、武装の性能はほぼ同じと言える。

車体高の高くなった装甲兵車型

FV103 スパルタンなどの装甲兵車型の乗員以外の兵員は5名で、歩兵の小隊輸送には物足りないので、工兵や砲兵偵察チームなどの専門兵科の兵員輸送用として使われることが多かった。もちろん、CVR(T)のみの編成の部隊であれば通常の兵員輸送に使った。
装甲兵車型やストライカーなどのCVR(T)は、側面装甲が垂直になりスコーピオンように傾斜していない。側部のカーゴボックスもない。前面上部もスコーピオンより傾斜がゆるくなって(より鈍角になって)、車内容積を確保している。結果、車体高そのものはスコーピオンより高くなり居住性を高め、ミサイルの格納場所も広くなっている。車体上車長用ハッチに視察用のサイトと車載機銃が取り付け可能な背の高いキューポラが装備されている。

さらに背の高いFV104サマリタンとFV105サルタン

FV104サマリタン装甲救急車やFV105サルタン装甲指揮車はさらに箱型に近づき、より背が高くなっている。ちょうど装甲兵車型のキューポラの高さ分だけ天井をあげて、ピン取るマウントされる機銃以外の武装は無くなっている。

派生型

ストーマー装甲車

アルヴィス社製ストーマ―装甲車 スターストリークSAM搭載型
アルヴィス社製ストーマ―装甲車 スターストリークSAM搭載型 転輪が6輪に増えている

ストーマ―装甲車は1970年代以降に開発の始まったCVR(T)の派生型装甲車で、イギリス軍には1986年に採用したスターストリーク対空ミサイル型などがある。
CVR(T)の本家シリーズとの大きな違いは転輪が5個から6個に増やされ、車体が延長されていることだ。マレーシアやインドネシアが発注して各種タイプで装備している。

スコーピオン90

アルビス社が1980年ごろに開発した、スコーピオン軽戦車にコッカリル社製90mm砲Mk3を搭載したタイプ。HEAT弾を使用して最大400mmの装甲貫徹力を有するので、MBTに対しても何とか対抗できるかも知れない。装輪の機動砲タイプが相手であれば十分に対抗できる。マレーシア向けに約30輌が生産されたほか、ナイジェリアやベネズエラが発注し、納入されている。
このうち、ベネズエラは、左派政権が誕生してから孤立政策を取り、西側諸国と距離を置いているために、現状ほぼ退役していると思われる。石油価格が高い時にロシアから購入した装備に切り替えていると思われる。

戦歴

 

キプロス紛争

初陣はキプロス紛争の際に、キプロスの英軍基地に派遣されたのが最初だろう。
この紛争は、部外者にとっては複雑怪奇で、対立が同じ西側諸国同士で起きているために、実際に軍事力を使った戦争でありながら、ギリシア・トルコ両国とも戦争として扱わず、米ソ両国も積極的に関与できなかった。
そもそもは、ギリシア系勢力によるキプロスとギリシアの統一をギリシアが支援し、トルコがトルコ系住民保護を名目に介入したことから紛争化する。トルコ軍は1974年にキプロスへ軍事侵攻し、トルコ系住民居住地域を軍事占領する。キプロスはトルコ本土に近く、軍事力もトルコ側が優勢であったために、ギリシアの反攻は難しかったが、NATO脱退をほのめかし、米国の介入を迫った。結局、英国の調停により、ギリシア人地域とトルコ人地域の間に軍事的空白地帯を設けることで衝突の拡大を避けた。
このトルコ軍によるキプロス侵攻の際に、キプロスの英軍基地の防衛力強化のために第5/16王立槍兵連隊のスコーピオンが派遣された。

フォークランド紛争

フォークランドに派遣されたFV101スコーピオン
フォークランドに派遣されたFV101スコーピオン

この紛争はキプロスに比べると分かりやすい。
英領フォークランドはアルゼンチン近海にあり英国が実効支配し、英国人が住んでいた。アルゼンチンと英国はその領有権を互いに主張していたが、1982年、アルゼンチンはフォークランドに侵攻し島を占領した。英国は直ちに反攻を決定し、機動艦隊と上陸部隊を派遣し、海上での戦闘ののち、フォークランド諸島へ上陸し、アルゼンチン軍の占領部隊と交戦した。
この際にスコーピオンとシミターが実際に戦火を交えており、上陸した歩兵部隊を支援した。上陸したイギリス軍にとって唯一の装甲戦力として活躍した。
本格的な揚陸強襲艦を装備していなかったイギリス軍にとって、8トン程度のコンパクトな装甲戦力が有効であったと証明された。上陸部隊は英国本土で編成され派遣された部隊であったが、もし、チーフテン戦車を上陸するとすれば、主要な港を無傷するしかなかった。主要な港は一つしかなく、そこが主戦場であったので、それを確保してからでは上陸の意味がなかった。逆に、スコーピオンが無ければ、イギリス上陸部隊は装甲戦力の支援なしに、相手の装甲車と戦闘しなければならなかっただろう。ハリアー戦闘機と共に、イギリス軍の装備戦略が有効であったと証明された戦争であった。

ワイヤレスリッジの戦い
フォークランド島 東西に分かれ東フォークランドに首都スタンレーがある
フォークランド島 東西に分かれ東フォークランドに首都スタンレーがある

フォークランド紛争でのイギリス軍によるフォークランド上陸作戦では、最初、SASや海兵隊などの特殊部隊が活躍した。アルゼンチン側の士気の低さもあって、サウスジョージア島の奪還など戦果をあげていた。しかし、フォークランド東西本島への攻撃となると、LVTP7などの装甲車や砲兵を含んだ装備を持つアルゼンチン守備隊は兵力も多く、運び込んだ物資により補給に頼らず戦闘を継続できたので、簡単に降伏しなかった(イギリス側は何度も降伏を勧告している)。
フォークランド本島への再上陸時には、未だイギリス・アルゼンチン両軍の航空戦が行われていた。エグゾセミサイルを使いつくした(4発しかなかったと言われている)アルゼンチン空軍は、A-4スカイホークによる通常爆弾による決死の攻撃をイギリス艦艇に対して行っていた。艦艇に対し目視距離まで肉薄する攻撃なので、多数のアルゼンチン軍攻撃機が撃墜されたが、逆に、防御兵装がほとんど無い揚陸艦は激しく攻撃され、上陸に向かない険しい地形に手こずっていた揚陸部隊に大きな被害がでた。イギリスの揚陸戦能力の低さが露呈した。
アルゼンチン空軍による激しい爆撃の中の揚陸だったので、スコーピオン戦車などの重装備(この上陸戦の中では重装備)の揚陸には少し時間がかかったが、アルゼンチン軍は揚陸地点への陸上からの反撃を行わなかったので、問題無かった。

ワイヤレスリッジの戦い スタンレーは海に面し、入り江になっていて、ワイヤレスリッジは西からスタンレーに進出する主要な地峡
ワイヤレスリッジの戦い スタンレーは海に面し、入り江になっていて、ワイヤレスリッジは西からスタンレーに進出する主要な地峡

アルゼンチン軍は主力を首都スタンレー周辺に集め、地対空ミサイルを配備してイギリス軍の空爆から防備していた。ここを攻撃するために、英軍はスタンレーを見下ろす高地の奪取を目指し、その後スタンレーに通じる地峡部を攻撃した。その攻防の一つがワイヤレスリッジの戦いである。
この戦闘に参加した英軍は、第29コマンドゥ連隊、第2空挺大隊を主力とし、近衛連隊や王立コマンドゥ砲兵連隊の支援を受けた部隊で、これを2輌のFV101スコーピオンと2輌のFV107シミターが支援した。アルゼンチン軍は陸軍第7連隊の推定500名の守備隊を配備していた。
イギリス軍はSASとSBSの陽動作戦を行いつつ、接近し、砲兵隊の12門の105mmりゅう弾砲により延べ6000回の砲撃を加え、同時にスコーピオンとシミターも、76mm砲と30mm機関砲でアルゼンチン軍防備陣地を攻撃した。第2空挺大隊はこれ以前のグースグリーンの戦いで80名以上の死傷者を出していたので、兵をむやみに進出させず、先に徹底的な砲撃を加えたのだ。アルゼンチン軍の指揮を取るアルゼンチン軍士官の周りの兵士が死傷するほどの激しさだったという。これに対しアルゼンチン軍は、無反動砲や迫撃砲で反撃を行った。
十分に砲撃を行った後、英軍は、まだ空襲の危険が残る中、海岸に接近させたフリゲート艦アンバスケードの4.5インチ砲による艦砲射撃を支援に加え、砲兵の支援も継続させつつ、スコーピオンとシミターを伴い守備陣地への突入を開始した。装甲車輛の支援を受けながらの突撃は敵側に大きな衝撃を与えていたと、戦後、アルゼンチン軍守備隊指揮官が語っている。わずか2時間で50人の負傷が出たと言われている。
アルゼンチン軍はパナールAML装甲車部隊の乗員を下車戦闘させ防衛に参加させている。アルゼンチン軍に装甲車があったことは確かだが、空爆や艦砲などの目標になるのを恐れてまともに運用できなかったのではないだろうか。英軍が湿地の地雷原を進んでくると、アルゼンチン軍は陣地を放棄してスタンレーへ退却した。
どんな歴戦の特殊部隊員でも、重火器の支援が無ければ、より重武装な敵にやられてしまう。近年特殊部隊の活動分野は増えているが、戦場において無敵だと錯覚してはいけない。兵士自身はもとより、用兵者が特殊部隊なら荒海からでも岩場に上陸できるだろうとか甘く想像して命令することは絶対に許されないことなのだ。この戦いでも、第2空挺大隊の指揮官は歩兵だけでの奇襲はあきらめ、スコーピオンとシミターをはじめ、砲兵や艦砲射撃、重機関銃や対戦車ミサイルまでを守備陣地の攻撃に駆り出している。戦訓をいち早く学び、戦いに完全勝利した、優秀な指揮官の例といえるだろう。

フォークランド紛争の戦訓

フォークランド紛争は現代戦における貴重な戦訓をたくさん残している。
まず、軍隊が本国を遠く離れた地で戦うのは著しく不利であること。もし、英国に核兵器が無く、アルゼンチン軍が最初の侵攻時にフォークランドを要塞化していたなら、イギリスは敗北していたであろう。アルゼンチンは常にイギリスの核攻撃の警告を受けていたので、イギリスの出方を伺いながら兵力を小出しにしていた。だから、イギリスの例は、完全には日本に適用できない。
さらに、島しょ部の争奪戦では、水陸両用戦力を含む海上機動戦力が決定的な意味を持つということだ。この機動戦力には、空母、潜水艦、強襲揚陸艦、早期警戒機、機動力のある対戦車能力のある部隊を含む。
イギリスにインビンシブル級空母が無ければ、フォークランドの戦いは悲惨なものになっていた。そして、フォークランド周辺の海上を実質的に支配していたのはイギリスの原子力潜水艦部隊だ。原潜こそがフォークランドへの兵力の追加を阻み、アルゼンチン海軍艦艇を近づけなかったのだ。
イギリス軍に欠落していた能力の一つが早期警戒能力で、フォークランド周辺に完全な警戒網を維持できないために、再上陸が始まっていからも、何度も空襲を受けている。それでなくとも数の少ないハリアー戦闘機は、搭載レーダーがしょぼくて防空警戒の役に立たず。防空を担う駆逐艦は飽和攻撃に対処できず、フォークランドに近づくと、地形の陰から接近する航空機をほとんど発見できなかった。イギリスの被害のほとんどは、早期警戒能力の欠落が原因であったと言って過言ではない。早期警戒能力がなければ十分な制空権は確保できないのである。
揚陸戦が上陸用舟艇で主になされ、空海一体の上陸能力が貧弱だったことも被害の原因ではあるが、そもそも、制空権が完全に得られ、揚陸部隊が安全に島に接近でき、ヘリコプター部隊が空襲で被害を受けなければ、もう少し楽に上陸できたのではないかと思われる。
しかし、どんな危機にも備えて、ありとあらえる装備を準備しておくことができるのは米軍だけで、そのほかの国はみんな似たようなものだ。イギリスは主力を東西冷戦の最前線であったヨーロッパと想定しつつ、思いもしなかった相手と大西洋と赤道の向こうで突然戦うことになった割に、フォークランドで勝利したのだから大したものだと思う。
しいて言えば、サッチャーが、アルゼンチン政府の出方を見誤り、戦争にしてしまったことが失敗かも知れないが、それは政治と情報収集・分析の問題だろう。一番大事なとこだが、本稿からは相当に脱線するのでやめておく。(既に大きく脱線していますが)

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争

IFORとしてボスニアに派遣されたスパルタン装甲兵車
IFORとしてボスニアに派遣されたスパルタン装甲兵車

ユーゴスラヴィア連邦の崩壊後のセルビアと周辺諸国住民勢力との紛争。
この紛争ではNATOの介入は後手に回ったが、中部ヨーロッパでの大規模な紛争は周辺諸国にも影響は大きく、紛争による難民や被害者が多大になりつつあったので、NATOは組織として初めて軍事作戦を行った。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争へのNATOの介入は主に空爆によって行われたが、ボスニア・ヘルツェゴビナ分割の協定合意後に、協定の執行と平和実現のためにMBTを含む機甲戦力も派遣され、「IFOR」平和執行部隊(Implementation Force)として任務に就いた。
主な敵勢力であったセルビアがT-72相当のMBTを有し、ヨーロッパ内で輸送もしやすかったこともあり、MBTを含んだ機甲戦力であったが、支援部隊としてCVR(T)シリーズも派遣された。この時には76mm砲装備のスコーピオンは数量が少なくなっていたのか、サムソンなどの装甲兵車とシミターなどの偵察車輛が主だったように見受けられる。

イラク戦争・アフガニスタン治安維持

アフガニスタンでのパンサークロー作戦に従事するFV107シミター装甲偵察車 スラットアーマーで囲いIED妨害装置などゲリラ戦対応の装備を追加している
アフガニスタンでのパンサークロー作戦に従事するFV107シミター装甲偵察車 スラットアーマーで囲いIED妨害装置などゲリラ戦対応の装備を追加している

イラク戦争のデリック作戦やアフガニスタンのヘリック作戦などに参加して、偵察や戦後の治安維持のためISAFとして派遣されている。
既に旧式のスコーピオンは引退しており、シミター型の偵察車が主要な戦闘車両であった。
シミターの装甲防護力では到底、IEDや対戦車火器が大量にある環境で生き残れないので、写真のように、全周に鳥かごのようにスラットアーマーを装備して、敵の対戦車ロケットを警戒した。

後継車両

装輪化され輸入される後継車両

イタリア イベコ社製LMV
イタリア イベコ社製LMV

冷戦終了後、イギリス軍は大規模な軍縮を進め、かつての核大国としての面影は残っていない。MBTのチャレンジャー2ですら400輌以下になり、今後はMBTを装備しない方針もあり得ると言っている。戦車を生み出した国から戦車がなくなろうとしているのだ。伝統を重んじる国ながら、革新的な改革を行うイギリスらしい判断であるが、AFVファンとしては寂しい限りだ。
さて、このような現状なので、装軌装甲車には風当たりが強く、米国のストライカーと同じく、戦略輸送性(自分で長距離を移動できる)を備えた装輪車両が後継に選ばれている。

イギリス軍がCVR(T)の後継として導入したパンサーCLV RWSやIED妨害装置がごてごてと取り付けられている
イギリス軍がCVR(T)の後継として導入したパンサーCLV RWSやIED妨害装置がごてごてと取り付けられている

2003年、FCLV(将来向指揮・連絡車輛)プログラムというコンセプトの汎用軽車輛としてイベコLMVをパンサーと言う名称で採用した。装甲兵車サムソンや偵察車シミター、FV403やランドローバーなど、ひとくくりにするには無理がありそうな車種を交代させる予定で既に400輌が納入され、さらに400輌を発注するオプションを持っている。
パンサーCLVは4輪の装甲装輪車で米国のハンヴィーを大きくして装甲化したような姿で、地雷やIDE防御を重視し、昨今の不正規戦に対応した車輛である。RWSを天井に備え、地雷防御のために車高が高いので、不安定そうに見える。サスペンションの沈み込みから装甲厚もそれなりにありそうだ。総重量7トンとカタログにあるので、重機関銃程度なら防ぐことが出来るだろう。
まあ、米軍でさえ、アフガンやイラクで装輪の装甲車が足りなくなって、MRAPなどを多量に作る羽目になったのだから、英軍が最初からMRAPのような装甲車を配備するのは道理に合っている。既に相手の装甲戦闘車輛やMBTとの戦闘は考慮されていない。

参照

PANZER 2008年7月号 「偵察車輛スコーピオン・シリーズ」「イベコLMV」
Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/CVR%EF%BC%88T%EF%BC%89
https://ja.wikipedia.org/wiki/フォークランド紛争
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Wireless_Ridge

スコーピオン戦車シリーズのプラモデル

プラモデルでは、台湾のAFVクラブが散発的に販売しています。流通数が少なく、常に品切れですが、絶版ではないところが微妙です。(希少ではない)AFVクラブ以外は発売していないので選択肢はない。現用イギリス軍のAFVと言うだけでもありがたいです。

AFVクラブのスコーピオンファミリー

スコーピオンシリーズと同じコンセプトのドイツ、ヴィーゼルシリーズ

AIFVは個人的に大好き

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