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戦車TOP10 5位 アメリカ合衆国 M1エイブラムス戦車

アメリカ合衆国の主力戦車の地位を40年近く守り現在も進化し続ける現用最新鋭戦車、M1エイブラムス戦車。

M1エイブラムス戦車
Spc. Bryan Crumpler, gunner, and Pfc. Adam Heunecke, driver, A Co. 3-67 Armor, prepare to take their new M1A2 SEP into combat.
性能諸元
全長 9.83m[1]
車体長 7.92m[2]
全幅 3.66m[1]
全高 M1A1:2.44m[3]M1A2:2.37m[1]砲塔上面まで)
重量 M1:54.45t[4]

M1A1:57.15t[4]

M1A1(HA):61.5t[3]

M1A2:62.1t

M1A2 SEP:63.2t[1]

懸架方式 独立懸架トーションバー方式
速度 67km/h(整地

48km/h(不整地

行動距離 M1:495km

M1A1:465km

M1A2:426km

主砲 M1 IPM1

51口径105mm ライフル砲M68A1

M1A1/A2/A2 SEP

44口径120mm滑腔砲M256

副武装 12.7mm重機関銃M2(対物・対空)


7.62mm機関銃M240
主砲同軸

装甲 複合装甲(砲塔前面および車体前面)

均質圧延鋼板(車体)

エンジン AGT1500

ガスタービン

1,500hp

乗員 4名

1970年代からM60パットン戦車系列に代わる主力戦車として開発され、現在も世界最高性能を誇るMBT。

システムとしての戦闘能力は他のどの戦車とも比べられない、別次元の能力を持つ。この戦車TOP10では戦車個体の能力を重要視するので、何故か5位。世界で最も有名な戦車なので異論も多いはず。しかし、その能力を個々に吟味すると、軍事超大国のMBT故の変なところが明らかになるだろう。

■開発

米国の戦車開発はずっと試行錯誤の連続で、M1エイブラムスもかなりの難産だった。本質的に外征軍である米軍にとって戦車の開発は困難である。戦車を、海を越え、遠くに運んでから戦うので、運用しやすさと性能がいつも対立することになる。この点は日本と似ている。

私が戦車マニアになった模型戦車ブームのころ、冷戦もたけなわで、米ソの軍拡競争は激しかった。ソ連の謎の新戦車が次々と登場し、秘密裏に撮影した解像度の悪い写真がニュースを飾り、中東戦争などでその姿が公になると世界中が注目した。

そのように、ヨーロッパ正面での大規模な機甲戦が実際に想定される時代に、米国が装備していたのは朝鮮戦争の頃に突貫で開発したパットン戦車の改良型であった。今から考えるとそれほどひどい性能でなかったが、TOP10などのランキングにした場合には、レオパルドやチーフテン、74式、T-72などを前に下位に沈んでしまうだろう。

M4A4_Sherman
M4A4戦車 5基のエンジンを連結した機関を採用した

米国にすれば、第二次大戦中に平凡な性能のM4に頼り切り、その後頻発する紛争に間に合わせるのに手いっぱいで、その場しのぎの戦車を採用するしかなかった。逆に言えば、アメリカ合衆国の強力な産業力があったために、設計上たいした工夫がなくてもそれなりの戦車を生産できたといえる。

is3_m26
IS-3重戦車と並ぶM-26パーシング戦車 サイズ的に変わらない。

T-34とM-26は戦闘力では少しM-26が優位だが、その重量は重戦車並みに重い。これだけ重くても不自由なく動かせるだけの、強力で複雑なエンジンを生産できてしまう工業力がアメリカ戦車の本当の力なのだ。M4シャーマン戦車のように、異なる種類のエンジンを組み合わせ、どれも量産してしまう。M4A4などは元々バス・トラック用の直列6気筒エンジンを5列に組み合わせて使っている(※)。30気筒のエンジンであり、本当なら、部品の交換も大変で故障間隔も短かったはずであるが、個々の部品の精密さと規格化された補給部品の供給能力の高さ、さらに、個々の乗員が普段から自動車に慣れ親しみ、戦車の整備や運用にたけていた。これら全体の要素が組み合わさり、M4の戦闘能力を支えていたのだ。

良くも悪くも自家用車の延長線上の戦車を開発してきたアメリカも、このままでいいとは思っていなかった。だから、時々悪い癖をだして突拍子もない戦車を開発した。MBT-70がその最たる例で、主砲にミサイル発射可能な両用ガンランチャーを採用した。しかも、実際にM-551シェリダン戦車やM60A2に装備して実戦で使ってしまうところが凄い。MBT-70は当初のドイツとの共同開発が頓挫すると、ほぼ振り出しに戻り、シレイラガンランチャーもあきらめてしまう。ベトナム戦争後の予算不足もあって、ようやく戦車開発を1本化し、仕様もオーソドックスなものにして1970年代末にようやく完成したのがM1エイブラムス戦車であった。

※アメリカの組み合わせエンジンは戦車に限らない。有名なダブル・ワプス・エンジン、プラット・アンド・ホイットニーR-2800はその名の通りワスプ星形エンジンを二つ重ねたエンジンである。究極形はR-4360で、直列7気筒エンジンを4基つなぎ、シリンダーが螺旋を描くように配している。ピストンエンジン技術の究極形というべき複雑さ精密さであった。

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ピストンエンジンの究極形とも言うべきプラット・アンド・ホイットニーR4360ワスプ・メジャー・エンジン

M1エイブラムス戦車が開発されたころはまだアメリカの軍事(自動車)メーカーが元気なころで、M1エイブラムス戦車の試作はクライスラー社とGM社の競争試作で進められた。クライスラー案が勝利したが、その後クライスラーは倒産し、戦車生産部門はGM社に吸収され、ジェネラル・ダイナミクス・ランドシステム社となった。

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XM1のクライスラー試作車 車体前部の平低な構造がM1に引き継がれている

 

XM1_Prototype_GM
XM1 GM製の試作車 MBT-70に似ているような印象

試作の段階では、これまでの戦車開発の遺産を詰め込もうとする陸軍と予算を抑えようとする国防総省や政府との綱引きで、主砲の選定だけでもM68からL44、シレイラシステムの改良型などいろいろあった。副武装もブッシュマスター20mm機関砲の搭載が最後まで検討され、TOWミサイルの搭載も考えられていた。

GMの試作車はエンジンにディーゼルエンジンを使用し、全体的な形状は既存のアメリカ戦車に似ている。サスペンションに油気圧式サスペンションなどを採用して、MBT-70の延長線にあるようだ。

一方、クライスラーの試作車は、制式化されたM1エイブラムス戦車の特徴となった鋭い角度で平低な車体正面を見せていて、ガスタービンエンジンの特色を出そうとしているように見受けられる。第一印象では、クライスラーの案の方が完成度が低いように感じた。GM案がこれまでのアメリカ戦車とドイツ戦車の特色を受け継いでいる点は良し悪しそれぞれがあっただろう。クライスラー案が勝利した何よりの理由は、ガスタービンエンジンの整備性と、全体的にコンパクトで少しだけ生産価格が安かったことではないだろうか。これまでのやみくもな兵器開発から軌道修正を行っていた時期なので、かなりコストに敏感になっていたことは想像できる。また米国議会で批判されていたMBT-70の面影を残さないことも重視されたのではないだろうか。

■機動力

M88_pulling_M1_AGT1500
M88戦車回収車のクレーンでパワーパックを交換中のM1エイブラムス戦車

全体的にオーソドックスな設計にも関わらず、エンジンにガスタービンを採用する。ハネウェル(旧テクストロン・ライカミング)製 AGT1500ガスタービンエンジンである。気筒数の少ない、エンジンをやたら組み合わせたエンジンしか開発できなかったので(輸入したくないから)、得意の航空機用エンジン技術を使えるガスタービンを採用した。合理的なのか冒険的なのか、どちらにしろ、アメリカ合衆国にしかできない芸当である。

エンジンのターボチャージャー技術はガスタービンエンジンと同じものが多く、出力の大部分をターボに頼ったエンジンは、ある意味ガスタービンエンジンを使っていることに似ているので、あながち、戦車にガスタービンを使うのは冒険的とは言えないかも。

A new generation of tanker for a new generation of Iraqi military
120mm砲の激しい砲炎をあげるM1エイブラムス戦車 車体後部の吸排気用の大きなグリルが分かる(イラク)

ガスタービンエンジンは特性として軽く、コンパクトで、冷却系が小さくて済むので戦車の制限された躯体内に配置しやすい。多量の空気流入量が必要なために吸排気口とそのエアフィルターの面積が大きくなるが、ホースでつなげる要素であり、M1エイブラムス戦車のように防御区画から切り離して配置できる。エンジンがコンパクトであれば全体の車高を抑えることが出来る。M1エイブラムス戦車は実際にかなり背が低く車高は2.4m、M60の3.3mと比べると1m程度の差があることになる。

M1_M60_height
M1とM60の車高は1m近い差がある

エンジン数基分を組み合わせたごちゃごちゃエンジンからの進歩は著しい。見るからにスタイルがいい。

ガスタービンは、高回転時、急加速減速がスムーズで、戦車の加速性能に反映する。機動時にミサイルシーカーの警報に反応して急加減速するのは得意である。但し、この急加減速を行うにはエンジンを高出力での稼働状態にしておく必要がある。タービンに送り込む空気の温度と圧力が一定値まで上がっていないと燃料が不完全燃焼を起こすからだ。ピストンエンジンの場合、起動時にシリンダーなどの回転部品が十分な慣性を得るまでモーターで回す必要があるが、自動車と同様、戦車用エンジンも起動するまで数秒だ。既に高回転でアイドルしていれば、ガスタービンは問題なく加速するが、停止状態からの起動にはピストンエンジンに分がある。今日の戦車用ディーゼルエンジンがコンピュータの制御によりきわめてスムーズに起動、加速、減速できるのに比べ、ガスタービンエンジンの反応はかなり特殊で、操作技術や戦闘機動に特別な配慮が要求される。

下の動画ではM1エイブラムス戦車のガスタービンエンジンの起動時の様子がよく分かる。信地旋回時に高回転アイドルにするのもわかる

ガスタービンは常にタービンを動かし続ける必要があるので燃費が悪い。1マイルに1ガロンの燃料が要ると言われ(1リットルあたり425m)、実際に燃料タンクは同世代の戦車の倍近い500ガロン(1900L)の容量がある(レオパルド2は1200L)。しかも、AGT1500ガスタービンエンジンは通常、燃料に航空機用燃料JP-8を使用している。

M1エイブラムス戦車は停車時にメインエンジンを切っておくために、補助エンジンを搭載し、発電などに使っている。

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レオパルド2A4戦車 ディーゼルエンジンを搭載し優秀な機動性を発揮している

ガスタービンの採用の評価は良し悪しそれぞれある。しかし、レオパルド2や90式戦車(10式戦車はさらに高性能な)がディーゼルエンジンで60トンのMBTの問題なく機動させ、サイズも一般の戦車に無理なくまとめられている以上、M1エイブラムス戦車のガスタービン採用は米国が高性能な戦車用ディーゼルエンジンを用意できなかったのだろう。M1エイブラムス戦車の試作車でも、GM案はGM製8V71Tディーゼルエンジンを2基組み合わせたものを提案していた。M1エイブラムス戦車の開発時にMBTの有用なエンジンを開発できていなかった証左であろう。仕方なく採用したと判断するしかない。このエンジンの欠点は戦車の性能だけでなく、部隊運用や補給体制にも影響を与えているので、M1エイブラムス戦車の評価を大きく下げる要因になっている。

※  HEMTT M978重機動タンカーはM1エイブラムス戦車への補給が主要な任務で、後方の補給集積所から戦場近くまで燃料を運ぶために、不整地走行性能を備えた輸送車である。このような車両を1万両以上も運用しなければならないのは、兵站上の大きな負担で、無装甲の輸送部隊を戦闘地域近くまで送らなければならないのは、作戦上の大きな弱点となる。

■武装(攻撃力)

M1A1以降はラインメタル製120mm L44砲をジェネラル・ダイナミクス・ランド・システムズがライセンス生産したM256を用いている。

しかし、M1エイブラムス戦車の当初の主砲はL7 105mm砲のライセンス生産版M68A1だった。多量の砲弾在庫があったこと、軍事予算の削減のために少しでも低コスト化するため、中東戦争によりL7でもソ連のT-72を撃破可能な証拠をつかんだことにより、L7でも十分と判断したのだろう。120mm砲を装備できるように設計しており、A1化する際にも特別なトラブルはなかった。120mm砲弾での搭載数は42発、105mm砲弾では55発。

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劣化ウランを弾芯に採用しているM829APFSDS-T砲弾

A1以降のL44/M256は世界でも定評のある優秀な火砲である。M1エイブラムス戦車はAPFSDS主砲弾に劣化ウランの弾芯を用いていて、それを複合装甲の中身にも使っている。劣化ウランは核兵器生産過程で出る副産物で、核のゴミだ。ウランは鉄の3倍近い比重を持ち、弾芯にした場合の運動エネルギー量が大きい。さらにセルフシャープニングというウラン特有の装甲侵徹現象(自己先鋭化現象)によって高い貫徹能力をもち、タングステン合金の弾芯の砲弾に比べ10%程度優れているとされる。55口径のL55 120mm砲には劣るだろうが、現状、M1エイブラムス戦車に敵する戦車でM256砲の劣化ウランAPFSDS弾に対抗できる戦車は存在しないので、十分な攻撃力といえる。

副武装は同軸機銃と車上の機銃で、近年は市街戦に対応してシールド付の機銃ポートをそなえた車両もある。

■電子センサー・情報ネットワークシステム

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イラクで作戦行動中のM1A2エイブラムス戦車 車長用CITVを装備している

M1エイブラムス戦車の戦闘力の要は電子センサーと情報ネットワークシステムである。M1A2から装填手ハッチ前方に置かれたCITV車長用全周視察サイトはその名の通り車長に操作される視察装置である。赤外線カメラなどを備え3000m以上遠方の敵を夜間でもとらえることが可能。このサイトで発見した敵の情報は直ちに砲手用コンピュータに伝えられる。完全にスタビライズ(3次元に安定)された視察装置と主砲により、行進間射撃も実用可能レベルである。

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砲塔上面から僚車の主砲発砲を撮影 装甲ケースに収められたCITVが左に見える

発見した敵の情報や自車の位置情報は、米軍戦術ネットワークによって車内だけでなく部隊や上位の指揮系統にも伝達可能である。当然、情報を受けることも可能で、車内の戦術情報パネルで他車の位置や他の部隊の位置も確認できる。さらに、AH-64Dロングボウアパッチなどがミリ波レーダーで走査した情報も共有可能で、E-8ジョイントスターズのような広域警戒機からの情報も受け取れるだろう。戦車の中にいながら戦場のグローバルな情報をリアルタイムに共有できるのだ。

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戦術ネットワークの模式図 WIN-Tは軍用ネットワークの一のシステム

米軍は冷戦の終了に伴い、情報化に努めてきた。冷戦の終了で浮いた予算を情報化につぎ込んだともいえる。目に見えるものでは全地球的な通信衛星網とGPS衛星など、見えないものでは、インターネット(インターネットの始祖であるARPANETはアメリカ国防総省の開発したもの)の米軍バージョンといえる情報ネットワーク網やそれに適した通信規格を整備して、次々と搭載していった。現在、世界で3軍(陸海空)がセンサー情報を完全に共有できる軍隊は米軍だけである。

軍隊での情報共有は言うほどたやすいものではない。戦場ではリアルタイムで処理しなければならない情報が沢山あり、その情報はパケット通信の分散型ネットワークの基本仕様に反するからだ。インターネットの電子メールのようにパケット通信網は情報のリアルタイム伝達を保証しないので、問い合わせにすぐにネットワークが応えてくれるとは限らない。貧弱なリアルタイムシステムの場合は、自分の処理を一定時間で止めて、ネットワークからの情報を確認する。これだと、目の前の処理を一瞬止めてしまうので、その時に敵が攻撃してくると対応できない。だから、戦場の情報システムは、レーダーセンサーなどの情報処理は止めずに、ネットワークからの応答を知ることが出来るように規格されている。リアルタイムセンサーはそれぞれ情報が更新されるタイミングが違うので、それぞれに合わせた処理能力の分担が必要になるのだ。

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WIN-T戦術ネットワークのアンテナを右サイドに装備したM-ATV 戦車以外の車両にも搭載してこそネットワークの力が発揮される

海軍は自艦のみで探知できる敵が限られるので、早くから艦隊内外での情報ネットワーク化を進めてきたので、米海軍のみならず、海上自衛隊やNATO各国の海軍も同じ通信規格を採用している。これによって、能力においては、日米海軍は同時目標対処が可能であり、訓練では実際にそうしている。

M1エイブラムス戦車はこのネットワークに属することで、他のMBTとは別次元の能力を持っている。例えて言うなら、丘の向こうの見えない敵も探知でき、戦場を見通すことのできる能力だ。M1エイブラムス戦車乗員の誰もが、かつてのナポレオンやミハエル・ヴィットマンの能力を有しているようなものだ。フランスのルクレール戦車や10式戦車も同様の情報共有の能力を戦車個々に有しているが、自衛隊の10式戦車がAH-64Dの情報を受け取れないことで分かるように、米軍が実現しているような情報処理能力は有していない。自衛隊という組織として能力が無いので、戦車個々の性能うんぬんではない。全員がミハエル・ヴィットマンの戦車部隊を想像するだけで、M1エイブラムス戦車がどれほど圧倒的な強さを持つか分かる。

■装甲(防御力)

M1エイブラムス戦車の装甲防御力は世界最高レベルであろう。昔から防御を重視するイギリスのチャレンジャー2戦車よりも防御力は高いと思われる。

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輸送機から降ろされるM1A2戦車 輸送可能な限界まで防御が強化されている

元々イギリスのチョバムアーマーを参考に複合装甲を取り入れ、防御を重視していた。第3世代の戦車なので、第4次中東戦争の戦訓を反映させた対HEAT弾対策、誘爆防止、対戦車地雷対策、自動消火装置などを取り入れている。試作段階でもソ連の主砲の至近弾に抗する装甲を要求された。T-62の115mm砲APFSDS弾を800mの距離から受けても貫通できない装甲を目指したのだ。このためM1エイブラムス戦車の正面装甲は傾斜角が付けられた。初期に複合装甲を取り入れたレオパルド2などより優位な防御力を持っているといえる。

さらに、M1エイブラムス戦車はA1、A2と進化するたびに重装甲になっていき、M1A2では初期のM1の2倍の装甲厚に相当するほどの強化をされているといわれる。均質装甲鋼板での相当厚みは600mmほどになるだろう(RPGや125mm砲の貫徹力から逆算)。つまり、M1A2重装甲型の正面装甲は戦艦大和の46cm主砲の弾丸が直撃しても貫通できない計算だ(もちろん戦車としては破壊される)。

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サイドスカートに爆発反応装甲をつけたM1A2SEPのTUSKⅠオプション装備車

近年は地雷やIEDなど簡易な対装甲兵器からの全周防御が重視され、M1A2市街戦対応パッケージでは機銃シールド、サイドスカートなどへの爆発反応装甲の追加、地雷防御を加え、地上戦においてはほぼ無敵の防御力を誇っている。米国のリポートでは湾岸戦争時にスタックしたM1エイブラムス戦車に3両のT-72が攻撃を仕掛け、その125mm砲弾を至近から受けたが全く損傷がなかったと報告されている。また、この時には、スタック車両を友軍のM1エイブラムス戦車が主砲で攻撃して破壊しようとしたが出来なかったと言われている。

M1エイブラムス戦車は第3世代戦車の中でも大きな装甲スカートを持ち、この点でも先見の明があった(レオパルド2や10式戦車も最近になって大きな厚いスカートにしている)。TUSKIIなどのパッケージではスカートに爆発反応装甲が加えられ、その上に瓦のような板が追加されている。これは砲塔側面にも追加され、M1エイブラムス戦車が全周防御に腐心していることが良く分かる。T-72に対して無傷を誇ったM1エイブラムス戦車もIEDやゲリラ兵による肉薄攻撃には苦労しているようだ。

■戦歴

アメリカ軍戦車だけに華々しい戦果を誇っている。湾岸戦争を始めとした冷戦後の各地の紛争に投入され、地上戦での決選戦力としての役割を果たしてきた。

・湾岸戦争

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湾岸戦争で砂漠を侵攻するM1エイブラムス戦車部隊

第3世代のMBTで大規模な戦車戦が行われたのはこの戦争が唯一である。M1エイブラムス戦車とT-72戦車はそれを戦ったMBTである。

湾岸戦争の地上作戦「砂漠の剣」は圧倒的な航空優勢の下に行われ、3千両以上のイラク軍戦車と米軍2550両、イギリスなど多国籍軍約1000両の戦車が大規模に機甲戦闘を展開した。おそらく、史上最後の機甲戦になるのではないだろうか。

DESERT STORM
破壊されたイラク軍のT-72戦車 M1エイブラムス戦車には全く歯が立たなかった

当時イラク軍が装備していたT-72はロシア製の輸出バージョンで、ロシア本国のT-72よりは能力は劣る。M1エイブラムス戦車との性能差は決定的で、戦場で会戦したT-72戦車はM1エイブラムス戦車に一方的に撃破されている。特にM1エイブラムス戦車の防御力や夜間戦闘能力が際立ち、T-72戦車に攻撃の隙さえ与えない一方的な戦闘となった。逆にT-72戦車は脆弱な防御力が露呈し、主砲の125mm砲はM1エイブラムス戦車の装甲を打ち抜けなかった。

この戦争によって、M1エイブラムス戦車はその能力を実証した。現代でも十分な防御力と相手の装甲を貫通できる主砲威力が最重要であることが再確認された。戦場で相手戦車に対抗できない戦車はもはやMBTでない。さらに現代の戦闘では昼夜区別なく戦闘出来る能力が必須で、夜間でも2000mを超える距離で戦闘を行えなければならない。

また、完全に制空権を握り、24時間体制の戦場監視体制があっても、遭遇戦は発生することも分かった。航空攻撃では隠された装甲目標を完全に破壊することはできず、地上戦開始後、かなりの戦闘車両が残っていたことが明らかになった。

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完全に破壊されてトレーラーで後送されるM1エイブラムス戦車 味方のM1の誤射が多かった

湾岸戦争中に損害を受けて行動不能となったM1エイブラムス戦車はわずか23両で、しかも敵戦車の攻撃で車両が被害を受けたのは2両だけで、ほとんどは味方の誤射であった(劣化ウラン弾によって攻撃を受けているので明瞭に分かる)。優勢であっても戦場は混乱し、あらかじめ想定していないことが起こるのが常だとわかる。

この戦争での戦訓によって、夜間赤外線暗視装置の表示で識別するための標識が必要なことが分かり、CIPと呼ばれるプレートを砲塔周囲に取り付けるようになった。

・コソボ戦争

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コソボで停戦監視任務あたる米軍KFOR部隊のM1エイブラムス戦車

コソボ戦争はNATOが旧ユーゴスラビアのセルビアのコソボ自治州での紛争に介入した戦争である。NATOとしての初めての大規模な戦争行為で、主に航空機によるセルビアへの爆撃が主体であった。セルビアは米軍などNATO軍との実力差を十分に認識しており、ミサイルや戦闘車両を巧妙に隠し、応戦しなかったため、大多数の戦闘車両、防空兵器は被害を受けなかった。しかし、飛行場や指揮系統のインフラ、産業インフラを全く守れず、実質的に戦闘力を失った。

セルビアの停戦合意後にNATOの地上軍がコソボに派遣された。この派遣部隊がKFORでM1エイブラムス戦車も参加していた。

・イラク戦争

「イラクの自由」作戦という、いかにもアメリカ的な作戦名の戦争は、湾岸戦争の延長のような戦争であった。

湾岸戦争で米軍の力を知っていたイラク軍は最初から正面切った戦闘を避け、大規模な戦車戦などは起こらなかった。イラク政権の力の要だった共和国防衛隊の戦車部隊も市街にこもり、出てくれば空爆された。全土の制圧に1か月強しかかからず、驚異的な侵攻速度だった。

M1エイブラムス戦車はこの戦争でも戦車としての能力を発揮したが、ゲリラ的な戦法に徹したイラク軍によって被害を受けている。市街戦での上部からのRPG攻撃、地雷、IEDなどで、特に戦争後半、イラクの占領作戦中に高性能化していったIEDでは車体が全損するほどの損害を受けるようになった。どれほど、重装甲の戦車でも、全周防御は難しく、逆に目立って攻撃を受けやすい戦車の弱点を露呈した。相手に重装甲重武装の戦車がなく、機動力を発揮できない市街戦では、戦車は役に立たないのだ。

但し、戦車砲の威力は市街戦でも有効だと認識されている。

Fallujah_2004_M1A1_Abrams
イラク戦争、ファルージャ攻略戦で市街地で至近目標を砲撃するM1エイブラムス戦車 主砲の威力は強大だったが、市街戦では苦しんだ

米軍は、イラク占領中の戦訓に合わせ、戦車砲や対戦車ミサイルに使う対人用榴弾を開発し、早々に配備使用している。

■発展

M1エイブラムス戦車はこれまで述べたように今も戦訓を取り入れながら進化している。開発当初のM1エイブラムス戦車と現在のM1A2 SEPなどを比べると全く別物と言って良いほど変化している。特筆すべきはベトロニクス、情報化機器の改良と電子センサーの進化である。次に防御力の強化が重要で、これは戦訓によって改良が続いている。

各型の比較
M1[4] M1A1[4] M1A1(HA)[9] M1A2 M1A2SEP[1]
製造期間 1979年~85年 1985年~87年 1987年~92年 1992年~現在 現在
全長 9.76m 9.83m
全幅 3.66m
全高 2.44m 2.37m
最高速度 72km/h 66.8km/h 67.6km/h
航続距離 495km 465Km 479km 465km 426km
重量 54.45t 57.15t 61.51t 62.10t 63.28t
主砲 51口径105mm
ライフル砲M68A1
44口径120mm滑腔砲M256
乗員 4名(車長, 砲手, 操縦士, 装填手

●現在米軍で運用しているM1

  • M1A2    1174輌(陸軍)
  • M1A1    4393輌(陸軍)
  • M1A1    403輌(海兵隊)
  • M1         2385輌(保管)

以上が存在している。

当初、M1A2は特別にデジタル化した師団に配備されていた。米陸軍はストライカー装輪装甲車を中心にしたストライカー「軽」師団とこれまで同様の装軌重装甲車両を装備した「重」師団を整備しようとしていた。それと同じように、特別に部隊全体をデジタル化した師団を編成した。M1A2はその師団に優先に配備されていた。

このデジタル化はやがて全軍に及び、しだいにこの区別はなくなっていくだろうが、現在の米国の財政では、すべてのM1エイブラムス戦車をA2化するのは難しいので、当面、アナログなA1を装備した「アナログ」師団も残ることになりそうだ。

●海外へ輸出されたM1

オーストラリア M1A1 – 59輛
エジプト M1A2相当 – 1,005輛(M1A1からのアップグレード755輛およびM1A2 250輛)
クウェート M1A2 – 218輛
サウジアラビア M1A2S – 315輛

M1A1 – 73輛

モロッコ M1A1SA – 200輛
イラク M1A1M – 140輌を導入予定

2015年現在すでに一部は導入されている。

M1_Abrams_tanks_in_Iraqi_service
M1エイブラムス戦車はかつての敵国イラク軍にも使用されている 既にISに鹵獲された車輛もあるようだ
中華民国(台湾) M1A1 – 200輌を導入予定

M1

105mm砲装備型。最初期型で、105mm砲を装備して生産された。初期には履帯の脱落などがあったために機動輪に脱落防止のために外側に枠が取り付けられていたこともあった。

M1 IPM1

主砲基部、変速機、サスペンションの改良型。

M1A1

本命の主砲、44口径120mm滑腔砲M256を搭載。車内電子装備も改良。

M1A1(HA)

装甲に劣化ウラン装甲を封入した装甲強化型。

M1Abrams_Armor_12
複合装甲の様子が分かる珍しい写真 サンドイッチされている劣化ウラン装甲のコンテナか

ちなみに、米海兵隊の正式のM1エイブラムス戦車はこのM1A1のHA重装甲型までが配備された。

M1A2

車長用全周視察装置ICTVを搭載していることで外形を識別できるが、本当の改良は戦術ネットワークシステムを導入したこと。FBCB2へ対応し、他のM1エイブラムス戦車や部隊間で戦術情報の交換が可能。車内の電子装置も大幅に改良された。電子機器が増えたことに対応して空調装置なども改良されている。

サウジアラビアやクウェートのM1A2戦車は装甲や一部機能が制限されたダウングレード版で、当然、戦術情報システムなどの機能も使えない。

M1A2 SEP

M1A2SEP_TUSK2
M1A2SEP TUSK2 各部名称

M1エイブラムス戦車の現在の最新型。市街戦に対応させたタイプ。外部視察能力を向上させるためにキューポラを改良。機銃シールドの追加、発煙弾投射機の改良、車外有線電話の設置など。電子装置も改良され、最新の戦術ネットワークに対応したパネル、ソフトウェアに更新されている。

M1A2SEP TUSKⅡタミヤ製キット


M1A2SEP TUSKⅡタミヤ製キット

瓦型装甲はERAの外側へ追加されている


M1A2SEP TUSKⅡタミヤ製キット

車体底面への追加装甲

M1A2 SEPにはTUSKⅠとTUSKⅡの市街戦用防御強化オプションが用意されており、地雷、側面上部からの対戦車榴弾、IEDなど全周からの脅威に対応している。サイドスカートや砲塔側面に爆発反応装甲など追加装甲が付加され、底面にも装甲が追加された。

M1 ABV

USMC M1ABV
アメリカ海兵隊のABV工兵戦闘車両

海兵隊の使用する地雷啓開用の工兵戦闘車両。39両が生産された。

■まとめ

M1エイブラムス戦車はシステムとして世界最高品質の戦車だ。レオパルド2より防御力などが優秀で、90式など軽量級のMBTならワンサイドゲームになるほどの実力を持つ。しかしながら、それは、いわばスイス製の高級腕時計のようなもので、実に繊細で、手のかかる戦車だ。米軍というゆりかごの中でこそ実力を発揮する戦車といえる。

ベトロニクスの融合においては、他の戦車とは次元の違う兵器になっている。B2爆撃機や駆逐艦ズムウォルト級のように、アメリカ軍以外では運用出来ないだろう。アメリカ軍が現在運用している状態で戦えば、レオパルド2すら相手にならないが、登場時に主砲が貧弱で現在も44口径120mm砲以上の強化がなされていないこと、ガスタービンエンジンの特殊な燃料と莫大な消費量による補給への負担などから、電子センサーや防御の優秀さを勘案しても、レオパルド2の下位にランキングした。レオパルド2が過不足なく戦車に必要な機能を実現したのに対して、M1エイブラムス戦車はまさにアメリカ軍の技術や資産、巨大な軍事費をつぎ込み、性能を物量とネットワークで支えている戦車なのだ。逆に、3.5世代MBTネットワークシステム戦車としては世界唯一で最強の戦車といえるだろう。

本TOP10では実部隊での運用能力を評価しているので、M1エイブラムス戦車が実運用で最高能力を発揮している点は大いに評価したい。しかしながら、もしM1エイブラムス戦車の代わりにレオパルド2を運用していた場合を考えてみると、同じように最高性能を発揮していただろう。しかも、莫大な燃料負担なしに、割と安く実現したに違いない。

米国はすでに戦車の新規生産ラインを稼働させていない。つまり、当面M1エイブラムス戦車に代わる新戦車は登場しない。21世紀後半までM1エイブラムス戦車がアメリカ軍の機甲戦力の中核を担うのだ。既にA3タイプの改良型が検討され、今後もさらなる進化を遂げるだろう。無人戦闘兵器が多用され、高度に情報化された戦場では、戦車はかつてのような決定的な戦力でなくなっていくだろう。M1エイブラムス戦車が最後のアメリカ軍MBTになることもありえる。その時、M1エイブラムス戦車は、史上最強にして最後のMBTになるかもしれない。

【参考サイト】

http://turbotrain.net/m1tank.htm

このサイトは、M1エイブラムス戦車のエンジンについて非常に分かりやすく日本語で解説している

http://sus3041.sakura.ne.jp/contents/calcula/mbt_m1a2_arm.htm

M1A2戦車の全周の装甲防御能力の推定

戦車TOP10 8位 イギリス センチュリオン戦車

イギリスが第二次大戦末期に開発した中戦車センチュリオン。

Centurion_cfb_borden
センチュリオン戦車
性能諸元
全長 9.83m
車体長 7.55m
全幅 3.39m
全高 3.01m
重量 52t
懸架方式 ホルストマン方式
速度 34 km/h
行動距離 450km
主砲 Mk.1-2:58.3口径17ポンド砲(70発)
Mk.3-8:66.7口径20ポンド砲(65発)
Mk.9-:51口径L7 105mm砲(64発)
副武装 Mk.1-4:7.92mm ベサ機関銃
Mk.5-:7.62mm M1919重機関銃(4,200発)
装甲 砲塔
前面:152mm 側面:65mm
後面:50mm 上面:25mm
車体
前面:76mm(Mk.5/1以降、+50.8mm)
側面前部:51mm
側面後部上:36mm
側面後部下:20mm
車体上面:25mm
底面:17mm
装甲スカート:5mm
エンジン ロールス・ロイス
ミーティア・ガソリンエンジン
650HP
乗員 4名

イギリスは戦車に頭文字Cで始まる名前を付けるのが慣例となっており、センチュリオン(Centurion)、チーフテン(Chieftain)、チャレンジャー(Challenger)などとなっている。チャーチル歩兵戦車(Mk.IV Churchill Infantry tank)は英国首相の名前であるが、たまたまCから始まる名前で都合も良かった稀な名前だ。

開発呼称はA41、一応巡航戦車のシリーズとして開発された。Cで始まる名称も巡航戦車の伝統だ。

■開発

センチュリオンをTOP10にランキングさせた理由の1つは、T-34とならび主力戦車の概念を作ったからだ。

第二次大戦当時、戦車は偵察を主任務とする軽戦車と対戦車戦闘や歩兵支援を任務とする重戦車という区別がされていた。これは、戦車が前大戦までの騎兵部隊の任務を引き継いだことや、重い大砲を装備して、軽快な機動力を発揮できるエンジンや走行装置が開発できなかったためだ。戦場で歩兵を上回る移動速度が必要な場合は、装甲を薄くして、軽武装の快速な戦車をあて、敵陣地への攻撃などの場合は、大きな大砲を搭載した大きな戦車がゆっくり動きながら支援する。主兵力は歩兵であったので、重戦車の機動力は歩兵並みで良いとされた。

イギリスの場合、軽快な戦車を巡航戦車、歩兵支援を行う重装甲の戦車を歩兵戦車と呼び、全く別物の戦車を2系統で開発し運用していた。

Comet_tank
巡航戦車コメット この戦車の後にセンチュリオン戦車が開発される

第二次大戦前、ドイツ陸軍は機甲戦の考え方を有していたが、防御された前線を突破可能な攻撃力・装甲と突破後の前線背後への侵攻が可能な機動力を併せ持った戦車は開発出来なかった。終戦時の条約と技術的な制限のゆえだ。

しかし、第二次大戦が始まってみると、軽戦車のような弱武装では偵察すらままならず、一度交戦が始まれば、砲撃下で機動力を発揮する暇もなく撃破された。また、重戦車は、前線すら定かでない流動的な前線に駆けつける事すらできず、敵に相対しても、機動力で迂回されると追撃する機動力が無いので取り残され、最後には敵重砲の餌食になった。そして、戦車にとっての最大の敵は戦車であった。敵戦車を無力化できなければ、戦車は役に立たないのだ。このような状況でドイツ軍の3号戦車、4号戦車は主力戦車的に使われるようになり、対戦車戦闘が可能な主砲に強化され、それにあわせ、機動力と装甲も強化された。多砲塔の重戦車を作ってきた米ソはそれを旋回単砲塔の戦車に切り替え、それぞれM4シャーマンとT-34戦車を投入した。

対するイギリスは、戦争が始まっても巡航戦車と歩兵戦車という区別を捨てきれなかった。おそらく、軍はこのような区分が実戦で役に立たないことは分かっていただろうが、騎兵部隊は自分の巡航戦車、歩兵部隊は自分の歩兵戦車を固守したがった。また、アフリカでの戦闘などで戦車戦力の欠乏・欠陥が露呈すると、イギリス政府は自国の戦車開発を見限って、米国からM3やM4戦車を多量に導入した。M3の場合、旋回砲塔の機能を強化していることからも、イギリスが戦車にどのような能力が必要か分かっていたと思われる。タイガー戦車など、ドイツ軍に新型戦車が登場した際も、いち早く、17ポンド砲を装備したM4ファイアフライを設計した。軍用兵側の設計チームの方が、より実用的な戦車を設計できた。

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第二次大戦中ナムル近郊で戦闘に備えるシャーマン・ファイアフライ

※M4ファイアフライは王立砲術学校のウィスリッチ少佐の提案で開発された。同じ17ポンド砲装備の巡航戦車A30チャレンジャーはバーミンガム鉄道車輛会社が開発。巡航戦車・歩兵戦車の開発はメーカーが主に担っていた。

戦車という新兵器を生み出したイギリスだったが、戦車開発の始祖であったことが、この時の戦車開発にはマイナスになっていた。タイガー戦車後に登場しながらそれに全く歯が立たない戦車クロムウェルを投入し続け、自国と英連邦兵士の多大な犠牲を出した。これは兵器開発で最も忌むべき例である。役に立たない設計は兵士の血を持って贖われ、どんな勇敢さも価値のない犠牲になってしまうのだ。この例の最悪は特攻機・船を開発した日本兵器産業だ。

■武装(攻撃力)

イギリスがようやく目を覚ましたのは第二次大戦も終わりに差し掛かったとき、巡航戦車であっても敵戦車を撃破できる主砲と撃ち合っても生き残れる装甲を持った戦車センチュリオンを開発した時だ。当初、タイガー戦車をAPDS弾で撃破可能な17ポンド砲を搭載し、後に、17ポンド砲の後継となる20ポンド砲を主武装にした。

センチュリオンはどちらかというと防御を重視した戦車であったが、この20ポンド砲の優秀さがその攻撃力を世界最高レベルに引き上げた。

この20ポンド砲は英国王立工廠ロイヤルオードナンス製で、すでに名砲として名高い17ポンド砲の後継として開発された。

オードナンス QF 20ポンド砲 データ
口径 84mm
砲身長 66.7口径(5.57m)
弾種 APCBC-T
APDS-T

英国は優秀な火砲いくつも開発してきたが、その中でも17ポンド砲からL7 105mm砲までの系列は最優秀と言って良い。戦車用のライフル砲では並ぶものがない。よく言われる話に、20ポンド砲がドイツ製火砲のコピーという話があるが、こういう話をする人は火砲の開発のなんたるかを知らない人だ。

火砲は部品の組み合わせだけで作れるものではない。単純に言えば砲身と薬室がひっついたものだが、これらを、火薬の強大な爆発に耐えるように作り、なおかつ、高熱や圧力にさらされても精度を保たなければいけない。戦車砲の場合、重量も出来るだけ軽くしなければならない。もし、砲の設計図があったとしても、個々の部品そのものを製造する技術が無ければ生産できない。

砲身は最も精度が要求され、かつ強靭でなければならない。砲身に使用される鋼は炭素、タングステンやモリブデンなどを微量に加えた合金で、製造過程で慎重に鍛造、熱処理される。さらに長い砲身内を穿孔し、ライフリングも施す。これらを考察しただけでも、砲身そのものがそこにあってもコピー不可能なことが分かる。製造にかかわる全てのノウハウを知ってもまだ製造は難しい。L7は各国が参考にして同じものを作ろうとしたが、結局のところどれも失敗している。

そして、戦車砲は砲そのものだけでなく弾頭や弾薬も含めたシステムとしてその性能を発揮する。弾薬は多量に生産しなければならないので、量産工程での効率化なども必要である。どの部分を精巧に作るべきか、どこは生産性を優先すべきか、全工程を詳細に設計して、初めてこのような戦車砲が製造可能なのだ。

この20ポンド砲はAPDS弾で1000m先の287mmの装甲鋼板を貫徹可能(弾着角0度)で、当時想定されるどんな戦車も撃破可能であった。ソ連のIS-3は車体前面110mm(傾斜角60度)だが距離1000mで撃破できる。敵戦車を撃破可能なことはMTBの必須の性能で、センチュリオンはこの重要な項目をクリアしている。ASDS装弾筒付徹甲弾の能力もあり、当時の他の戦車砲を凌駕する性能を誇っている。

オードナンス QF 20ポンド砲と他の兵器の性能比較表 均質装甲を射撃した結果
兵器名称 砲口初速(単位m/s) 貫通性能(単位mm)
20-Pounder(Mk.3 APDS) 1,465 287(弾着角90° 射程1,000m)
85mm D-48(BR-372 HVAP) 1,040 185(弾着角90° 射程1,000m)
8.8 cm PaK 43(PzGr.40/43 APCR) 1,130 241(弾着角90° 射程1,000m)
90mm M3(M304 HVAP) 1,021 230(弾着角90° 射程914.4m)
90mm T15E2/90mm T54(HVAP) 1,143 196(弾着角60° 射程914.4m)

この20ポンド砲はのちにライフル砲の最高傑作とされるL7 105mm戦車砲に進化する。センチュリオンはMk5でこの砲に換装することになる。

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デンマーク軍のセンチュリオンMk5 105mm砲を搭載している

シャーマン・ファイアフライに17ポンド砲を搭載した際に、砲塔内のスペースに余裕が少なく装填作業にも支障があった経験から、センチュリオンは砲塔容積を大きくとっている。さらに、センチュリオンの特徴になっている砲塔周囲に設けられた装具箱を常設することで、車内の容積確保に役立っている。これはのちにHEAT弾へのスペースドアーマーの効果も発揮した。

■装甲(防御力)

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センチュリオン戦車は装甲防御を重視して設計された

センチュリオン開発の主旨は、敵戦車に対抗できる装甲をもつ巡航戦車で、当初から防御が重視されていた。

砲塔は鋳造構造でほぼ垂直だが、全面で152mmありかなり重装甲。車体は避弾経始が考慮され、前面76mmで傾斜角55度、垂直鋼板140mm相当でドイツの88mm砲になんとか対抗可能でアウトレンジされない。

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センチュリオン戦車の装甲厚

前述したように、各所の装具箱で直撃の被弾を避けるように設計され、車体側面も車輪やサスペンション、スカートが防御に役立っている。第二次大戦末期にドイツ国内の戦闘で瓦礫にこもるドイツ兵のパンツァーファウストなどの対戦車兵器で犠牲を出した英軍はセンチュリオンの設計にその教訓を反映させ、HEAT弾のスタンドオフ効果を狙って各所に工夫を凝らしている。車体底部を船底型にしているのも、地雷の爆風をそらして被害を減らすためだ。スカートを通常装備したことも先見の明というべきだろう。

エンジンがガソリンエンジンで、燃料に引火性の高いガソリンを使わねばならないのが防御上の大きな欠点だ。戦車用の高性能ディーゼルエンジンを用意できなかったことは、次項の機動力にも影響し、センチュリオンの評価に悪影響を与えている。

後継戦車のチーフテン戦車はセンチュリオン以上に防御力を強化しているので、イギリス軍はセンチュリオンの防御力でもソ連のT-62やT-72に対抗するのは難しいと考えていたようだ。チーフテン戦車はほとんど重戦車化しており、イギリスがどれだけドイツ戦車に苦しめられたのかが見て取れる。チーフテンは冷戦期によみがえったタイガー戦車のようだ。しかしながら、センチュリオンを戦車戦力の主体として使用したイスラエル軍はL7 105mm砲を搭載したセンチュリオンがT-62より優れていると判断したことから、軒並み軽装甲な主力戦車がそろっていた第二世代MBTにも見劣りしない防御力を有していた。第三世代のMBTになり、再び防御力を重視されるようになったことからも、センチュリオンの防御重視の設計思想が正しかったと言える。

■機動力

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オーソドックスな設計のサスペンションと大直径転輪は防御にも役立っている

走行装置はオーソドックスなホルストマン式サスペンションに、ロールスロイス製ミーティアV型12気筒ガソリンエンジンを組み合わせ、相応の機動力を発揮した。

ミーティアエンジンは傑作航空機用エンジン「マーリン」の車載用改良型。650馬力以上の出力で50t近い車体を時速34kmで走らせることができた。ガソリンエンジンは戦車用エンジンには向かないので、これはセンチュリオンの欠点である。結局、イギリスは後々もまともな戦車用ディーゼルエンジンを開発できなかったので、この分野は得意ではなかったようだ。

ホルストマン式サスペンションは外装式のコイルスプリングによる懸架方式で、2輪1組で構成される。外装式なので整備性に優れ、側面の防御力向上にも役立っている。部品を犠牲にして乗員を保護するという方針が徹底されている。独立懸架のトーションバー方式や油圧サスペンション方式に比べ性能は劣るので、機動性能は平均並みか少し劣るか。整備性、信頼性などが優れているので、全体として次第点。

■戦歴

就役期間が長く、戦歴も多い。第二次大戦には間に合わなかったが、冷戦期に入ってすぐの朝鮮戦争で活躍する。M4シャーマンが北朝鮮軍のT-34/85に対抗できなかったなかで、センチュリオンは優れた戦闘力を発揮し、攻守ともT-34を上回った。機動力も山がちの朝鮮半島で十分な性能を発揮した。戦争中の最優秀の戦車との評価を受けている。


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朝鮮戦争でのセンチュリオン戦車


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北朝鮮軍のT-34/85
当初、国連軍でこの戦車に対抗できたのは
センチュリオンだけだった。

センチュリオン戦車が最も活躍したのは中東戦争だ。中東戦争でのイスラエル戦車部隊の主力として、その代名詞になるほどの活躍を見せた。当初はエンジンや古い照準装置などの問題も指摘されたが、そもそも余裕のある造りだったことから、イスラエルお得意の改造を受け、第2.5世代戦車にまでなった。第三次・第四次中東戦争では戦車部隊の主力となり、T-55やT-62と激戦を繰り広げ勝ち抜いている。イスラエル軍の使用した戦車の幾つかは防御力の不足を指摘されたが、センチュリオンの防御力に対する信頼は高かった。

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中東戦争で活躍するセンチュリオン戦車

印パ戦争ではインド軍がセンチュリオン戦車を用いて、パキスタン軍のパットン戦車と戦い勝利している。

南アフリカもセンチュリオンを実戦に使用した。

戦歴の中でも沢山の勝利に貢献し、使って見るとなかなか良かったという高評価で、センチュリオンの優秀さの現れと言えよう。

■発展

センチュリオン戦車は現役期間も長く、もともと余裕を持たせた設計だったので、次々と改良されていた。

英国

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イギリス本国でのセンチュリオンの最終形 Mk.13 車体前面の追加装甲、照準用同軸機銃などが分かる

イギリス本国での改良形式だけでもMk.13まで改良された。エンジンと主砲の換装が大きな改良で、主砲はL7A1 105mm砲を搭載した。ソ連の新型戦車の登場に対抗し、Mk.8からは前面に装甲が追加された。最終形は赤外線暗視装置も追加された。

戦車型以外にも各種工兵支援車両に改造されている

センチュリオンAVRE 戦闘工兵車
障害物破壊用の165mm砲を搭載し、ドーザーブレードや地雷処理装置の取り付けが可能。
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センチュリオンmk5 AVRE 戦闘工兵車
センチュリオンARK/AVLB 架橋戦車
75フィートの長さで、耐荷重80tの橋を架けることが出来る。

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センチュリオンARK 架橋戦車


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センチュリオンAVLB 架橋戦車

センチュリオンARV 戦車回収車
チーフテンやチャレンジャー戦車も回収可能。
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センチュリオンARV 戦車回収車
センチュリオンBARV 海岸回収戦車
海兵隊用に上陸作戦時に使用する。イギリス軍で最後まで使用されていたセンチュリオン戦車である。
Centurion-BARV
センチュリオンBARV 海岸回収戦車

○イスラエル

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イスラエル軍のショット戦車

イスラエルはセンチュリオンを芯まで使い切っている国である。センチュリオンの究極形はイスラエル軍のセンチュリオン、ショット戦車(Shot)だ。この戦車はセンチュリオンの欠点であったエンジンをアメリカ製のディーゼルエンジン(コンチネンタル
AVDS-1790)に換装することで機動力の問題をクリア。トランスミッションもアリソン製に変更。機関系をアメリカ製に統一して整備性をより高めた。主砲はL7にして、遠距離での戦闘力を高め、T-62などの新型戦車をも撃破できる攻撃力をそなえた。キューポラもイスラエル得意の少し浮き上がって周囲を視認できるハッチに変更した。実戦で鍛え上げられたセンチュリオン戦車は戦場でその能力を証明し、傑作戦車と評価されるようになった。

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アメリカ製のディーゼルエンジンに換装されたショット戦車のエンジンルーム

メルカバ戦車が登場したのちも、爆発反応装甲を付けたり、リモート操作の機銃を付けたりして改良を重ねたが、レバノン内戦後は現役を退いている。

・重装甲APCへの改造

イスラエルはT-55をAPCに改造したアチザリット装甲車を使用しているが、センチュリオンも同様の改造を加え、ナグマショットから続く戦闘工兵車を開発した。これらはいずれも戦車の砲塔を取り除き、戦闘室に兵員を乗せられるように改造している。元々戦車なので通常のAPCを超える装甲を有しているが、側面・上部を中心にさらなる防御強化を図っている。砲塔と主砲の分だけ装甲を強化したなら足回りはそのままで重装甲にできる、という理屈だろう。戦車の時よりも重くなるほどの装甲強化を行っている場合もある。

ナグマショットなどのセンチュリオン改造戦闘車はアチザリット戦闘兵車よりも工兵装備が多く、戦闘工兵として運用されているようだ。地雷防御を重視したセンチュリオンにあった運用であろう。戦闘工兵車両に使うため、車体前部に地雷処理ローラーやドーザーブレードを取り付けることができる。市街戦を考慮して全周にわたる視察装置とリモコン銃塔が装備されている。

センチュリオン戦車は元々後部にエンジンがあるので、兵員の乗り降りは車体上部から行う必要があり危険。アチザリットはエンジンを寄せて後部に細い乗降口がある。改良型には後部乗降口周りに装甲版を立てている。

ナグマショット
センチュリオン改造の装甲兵員輸送車。10人の歩兵の登場が可能。
Centurion-Nagmashot_11
イスラエル軍 ナグマショット装甲兵車
ナグマホン、ナクバドン
ナグマショットの改良型。ナグマショットとともにドッグハウスと呼ばれる大型の視察銃塔を取り付けたものがあり、どこか不気味。全周を装甲で守りハリネズミのようにとげをたてて武装しなければ任務を遂行できないのが、現在のイスラエルを象徴しているようだ。
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イスラエル軍 ナグマホン装甲兵車 ドッグハウスと呼ばれる全周視察銃塔
プーマ戦闘工兵車
ショット・カル戦車からの改造。
Centurion_PumaAPC_12
イスラエル軍 プーマ戦闘工兵車 メルカバ改造のナメル装甲車に似ている

○南アフリカ

Olifant-1
南アフリカのオリファント戦車 追加装甲で元の砲塔の形が分からないほどだ

原型のセンチュリオンから、現地で改修した型など、イスラエル同様の使い方。南アフリカはアパルトヘイト政策のために長く欧米諸国から武器の輸出を禁じられていたため、最新鋭の戦車を手に入れられなかった。周辺に敵対国が多く、国を取り巻く環境がイスラエルと似ていて、中古の戦車を改造して使うのもイスラエル流だ。実際、各種兵器開発にイスラエルが協力している。

センチュリオンの改造の究極形がオリファント戦車で、増加装甲を付けた最新型は同じ戦車と思えないほどの改造。イスラエルにおけるマガフ戦車(M60パットン戦車改造)の改造に似ている。

■まとめ

センチュリオンは史上初の主力戦車という先進的な概念で設計されながら、完成されたオーソドックスな技術を組み合わせ、これまでのイギリス戦車とは一線を画す完成度の高さを示した。20ポンド砲(後継のL7)や装甲スカートは後世の戦車の模範となるような革新性を持ち、一方で車体構造・懸架方式やエンジンは第二次大戦時に既に評価の高かったものを利用した。今ならリスクマネイジメントというべき手法で開発全体を評価して新旧技術の使い分けをするところ、センチュリオンの設計チームは彼らの経験と感性でそれをなしとげ、かつてないバランスの良い戦車を作り出した。もし、この戦車が生み出されていなければ、後のイギリス国産戦車は生まれず、英国での戦車開発は大戦後に終了していただろう。戦車発祥の国を、現代までつづく「戦車王国」に育てたのがセンチュリオン戦車であった。

戦車TOP10 4位 ソビエトT-55


旧ソビエト軍T-55。

T-55
T-55
性能諸元
全長 9.2m
車体長 6.45m
全幅 3.27m
全高 2.35 m
重量 36 t
懸架方式 トーションバー方式
速度 50km/h(整地) 35 km/h(不整地)
行動距離 約460km
主砲 56口径100 mmライフル砲 D-10T2S
副武装 12.7 mm機関銃 DShKM
7.62mm機関銃 SGMT
装甲 防盾 210 mm
砲塔側面 110 mm
後面 60 mm
砲塔上面 30 mm
車体前面上・下部 100 mm
車体側面上部 80 mm
車体側面下部 20 mm
車体上面 33 mm

底面 20 mm
エンジン V2-55 12気筒液冷ディーゼル
580 馬力
乗員 4名

 

戦車大国ソビエトの最多の生産数、すなわち歴史上もっとも多く造られた戦車である。

第二次大戦後の冷戦期を特徴づける戦車で、冷戦期の戦車開発競争の基準となった戦車である。1つのタイプの戦車で、これほど実戦で活躍した戦車は他にない。第二次大戦後直後に開発されて以来(制式化1954年)、現在も使用されている。

 

戦車の生産数
T-55 ソビエト 100,000両
T-34 ソビエト 64,000両(T-34/85含む)
M-4 アメリカ合衆国 50,000両
T-72 ソビエト 25,000両
T-62 ソビエト 20,000両
M-60パットン アメリカ合衆国 15,000両
M-48パットン アメリカ合衆国 12,000両
T-26 ソビエト 11,000両
M-1 エイブラムス アメリカ合衆国 10,000両

 

こうして見ると、ソ連がいかに多量の戦車を生産していたか分かる。ヨーロッパと陸続きであることを最大限利用するなら、機甲戦が必須であることを痛感していたのであろう。

戦中のT-34の生産では、戦時下で一時的に国土の主要部を独軍に占領されていたわりに多数の戦車を生産できたことは特筆に値する。途中で85mm砲に換装しても生産数が落ちなかった。巨大な経済力を持ったアメリカ合衆国でさえM4を5万両しか生産できなかったことを考えると、この生産数は驚異だ。

しかし、それを倍ほども上回るT-55シリーズの生産量は空前絶後、前人未到の数と言ってよい。

これが出来たのは、ソ連が機甲戦力によるヨーロッパ侵攻を戦略の基本にしていたこと、東ヨーロッパの支配によってソ連の経済力が高まったこと、戦車をMBT(T-55)に集約したこと、が相まってなしえたことだ。

T-34から続く生産性の高い設計や信頼性の高いエンジン、クリスティー式懸架装置にかえてトーションバー方式にしたことはT-55の生産性を高めた。

また、最大の敵対国のアメリカ合衆国がM4シャーマン戦車以降、十分な性能の主力戦車を設計できず、常にソ連戦車の後追いになっていたことも理由の一つだろう。ソ連及び共産主義勢力は1970年代までT-55を第一線の戦車として生産・配備できたのだ。

T-55は東ヨーロッパ各国でライセンス生産もされ、中国ではコピー戦車として59式戦車が生産された。これもかなりの数が生産された。

 

 

歴史

T-55はT-34から発達した戦車と言える。T-34の後継車でとT-55の直接の祖であるT-44はT-34の砲塔とT-55の車体を合わせたような姿をしている。


T-34

T-34


T-44

T-34の砲塔とT-55の車体を合わせたようなT-44

しかし、その画期的な点は、ソ連がドイツの重戦車と戦う中で開発した一連の重戦車群、KV-1,KV-2,ISシリーズと続く戦車を統合する形でT-55を生み出したことだ。

重戦車 IS-2
重戦車 IS-2

T-55以前は、重装甲で重い戦車を倒すには重戦車が必要と考えられてきた。特に、ドイツのタイガー重戦車と対したソ連にとって、重戦車は切実に必要な戦車と思われてきた。

しかし、ソ連が大戦後のヨーロッパでの戦争を考察した時に、重戦車が活躍する場面は小さいと思われた。IS-3やのちのT-10のような完成された重戦車を手に入れてもなお、ソ連の戦車開発首脳部はそれを断念した。

米軍の圧倒的な軍事力を前に、ヨーロッパでの戦争に勝ち抜くには、機甲戦力による電撃的な侵攻が必要であり、重戦車のように機動力を犠牲にして成り立つような機甲戦力は無いと結論付けた。

これは今日のMTBの考え方であり、その始祖と言ってよい。事実、T-55の登場によって西側各国の重戦車は滅びたと言ってよい。戦車用に完成されたD-10Tシリーズ100mmライフル砲は西側標準であった90mm戦車砲の破壊力を凌駕し、各種大口径砲よりも扱いやすく、重戦車を前にしても撃破する性能を持っていた(HEAT弾)。

そもそも相手戦車を撃破する能力なくして戦車としては成り立たないという考えが、攻撃力が低くて機動性が高いという中戦車の概念を覆した。どんな戦車も、相手戦車を破壊できる性能が必要と考えれば、重戦車すら撃破可能な戦車砲を搭載するしかなく、そのような戦車があれば重戦車の必要性はなくなる。

この合理的な、いかにもスラブ的、マルクス主義的な思考が、主力戦車T-55を生み出したのだ。

これに対抗して西側諸国はロイヤルオードナンス製L7 105mmを装備した戦車を開発し、第二世代の戦車として配備する。戦車史上、戦後第二世代の戦車はT-55に対抗して生み出された105mm砲装備の一連の戦車群と言えるだろう。

 

戦歴

T-55の実戦数は限りがない。

ソ連による東ヨーロッパへの介入の際にも使用され、ソ連陸軍の象徴的な存在であった。

ハンガリー動乱でのT-55
ハンガリー動乱でのT-55

中東戦争

数次の中東戦争では本格的な戦車戦にも投入され、イスラエル側のセンチュリオンやシャーマン、パットン戦車

と幾多の戦闘を行った。

第三次中東戦争 ゴラン高原でのT-55
第三次中東戦争 ゴラン高原でのT-55

T-55はソ連が支援していたアラブ側、シリア、エジプト、イラク軍などが使用し、戦闘で多数の鹵獲車両を手に入れたイスラエル側も修理・改良の上使用した。

中東戦争での戦車戦は、事実上、第二次大戦後、最も激しい戦車戦で、戦車同士が大規模に交戦した。

中東戦争では大規模な機甲化された陸軍が国境そばに配備され、数時間の侵攻で相手の枢要部に進出できるため、機甲戦力は極めて重要だった。双方とも機甲戦力を決戦戦力と考えていて、戦車戦力を強化していた。しかも、シリア国境は死海やヨルダン川、エジプト国境はスエズ運河などの自然要害のために戦力が集中し、接近した激しい戦車戦になった。

第4次中東戦争のゴラン高原では1400両以上のシリア軍戦車が投入され突破を図ったが、イスラエル軍のセンチュリオン戦車など180両の奮戦で食い止めた、同シナイ半島は初期のエジプト軍の攻勢でイスラエル軍は3日間で400両以上の戦車を失い、前線は突破された。

初期の3度の中東戦争ではアラブ側はT-55を主力とし、対してイスラエルは混成軍で、最も強力だったのはセンチュリオン戦車だった。

この戦争では、イスラエル側の練度の高さも相まって、ほぼイスラエル側の勝利と言って良い。しかし、戦車の能力では、旧時代のシャーマン戦車などでは、いくら改良してもT-55に及ばず、AMX-13などの軽戦車も戦場では役に立たないことが分かった。逆にT-55に対抗して105mm砲を装備したセンチュリオンやM60はT-55を凌駕し、T-62にも十分に対抗できることが分かった。

この戦闘によって、対戦車ミサイルなどの脅威に対する防御力が必須であると認識され、後の複合装甲化された第三世代戦車群へつながる。ここでもT-55の存在は、戦車の弱点改良のキーポイントになっている。

 

中東戦争後も、多量の生産数を誇るT-55は各地で使用された。

ベトナム戦争後の中越戦争では、ベトナム側がT-55を使用し、中国側が改良型の59式戦車を使用した。

 

湾岸戦争は、数の上では第二次大戦以後最大の戦車戦となったが、夜間戦闘力と情報戦に勝る米英両軍がイラク軍を圧倒し、T-55はおろかT-72でさえ一方的に撃破された。

第三世代MBTの防御力と情報戦能力が実証され、もはや旧世代の戦車では戦車戦は戦えないことが明白になった。

 

ソビエトと東欧各国がT-72系列へと移行したのちは、余剰のT-55が世界に流出したために、逆に、戦車同士の戦闘が発生しないような紛争では多用されるようになった。

情報戦能力など持たず、簡素で、市場に多量の予備品が出回っているT-55の方が運用しやすく、内戦や小規模な紛争では、相手も高度な対戦車兵器を持たないために有効な機甲戦力として活躍している。このことは、戦車を倒すためには高度な兵器とそれを十分に運用できる訓練が必要で、それは組織化されていない武装集団には難しいということを示している。

 

特徴・構成

第二次大戦後の戦車開発史を決定づけるような戦車でありながら、全く人気の無い戦車で、形も不恰好、箱にお椀を乗せただけの積み木のような戦車であるからしょうがない。

しかも、冷戦後の紛争で登場するたび片っ端からやられ、弱戦車の代表格になってしまった。

でも、この戦車が核戦争下で運用することを前提に設計されたことを忘れてはいけない。放射能にまみれた戦場でお椀型砲塔の背の低い戦車がたくさん現れるところを想像してみると、案外お似合いだ。

T-55はT-34から重戦車の系列の要素を加えつつ発展し、主砲に100mm砲という、当時もっとも強力な戦車砲を搭載したことでその地位を確立した。主砲自体の威力は第二世代戦車を破壊するのに十分であった。

 

後に防御力に弱点があることが実証されたが、HEAT弾の貫徹力を前に、設計段階で防御を犠牲にした戦車大半だった第二世代戦車の中で見ると、特別に防御力が弱かったとは言えない。中東戦争では、防御力の特に優秀な米英の戦車を相手にしており、公平な比較ではない。センチュリオンやパットンが105mm砲を装備したのはT-55に対抗するためだった。

 

サスペンションにはトーションバーを用い、より低平な戦車になっている。大規模な機甲侵攻作戦には機動力が不可欠なために、不整地走行能力と潜水渡河能力が必要で、それを備えている。アフガンなどで運用されていることから、不整地の走行能力に問題はないと思われる。

 

エンジンもT-34から発展したV2-55 12気筒液冷ディーゼルで高い信頼性を誇る。

後に述べる車内容積の狭さから、燃料搭載量が少なく、航続距離が短い。ソ連からの機甲戦力による侵攻を考えるなら、あと200km程度の航続は必要で、後部外側に取り付けるドラム缶によって対応している。

旧東ドイツの国境からドイツの主要都市は100km~200kmの圏内にあった。東ドイツ北部のシュウェーリンから西ドイツのハンブルクなら110km程度。不整地を戦闘走行するために燃料は2.5倍程度消費する。加えて核攻撃が予測されるために前線攻撃発起点から後方へ50km程度は退避しておく必要があるから。

110×2.5+50=325km ハンブルクなら予備燃料なしで到達。

西ベルリンの部隊を攻撃後、ハンブルク方面に向かうなら280km程度なので、

280×2.5+50=750km 予備燃料があってもギリギリか。

ドイツ ベルリンからハンブルクへの距離は300キロ弱
ドイツ ベルリンからハンブルクへの距離は300キロ弱

車内容積の狭さは問題だ、防御力の弱さも、一因はこれにあり、弾薬配置などに支障があり、装填作業にも影響がある。

お椀型の鋳造砲塔を載せると、弾薬はほとんど砲塔下に置かねばならず、装填作業は困難だ。また、車体中央に開け放たれた状態で砲弾が集中しているので、被弾時に誘爆を起こし、常に致命的な被害を受けている。

T-62以後、ソ連は自動装てん装置の開発に力を入れるのも、この時の苦い経験が影響していると思われる。

自分たちの得意な鋳造装甲のお椀型砲塔を取り入れ、かつ優秀な性能を維持するにはその欠点改良が必要だった。

T-90になっても基本的な形状を変えないところを見ると、この問題は解決されつつあるようだ。

 

この世代の戦車なので、夜間戦闘能力やベトロニクス(死語?)にはあまり触れない。赤外線灯光装置によって500m程度での夜間戦闘能力があったが、ゴラン高原での戦闘ではそれが発揮できていない。FCSが貧弱で、測距などできないレベルなので遠戦能力は低い。

 

 

T-55 vs M-48パットン

同時代の好敵手といえばM48パットンだろう。

M48パットン
M48パットン
T-55 M-48
重量 36t 52t
速度 50km/h 48km/h
航続距離 460km 463km
主砲 56口径 100mm D-10T2 43口径 90mm M41
装甲(車体正面) 100mm 120mm

 

M60以降の105mm砲装備型はかなり後半になり生産時期で言えば、A3型までを比較するのが相当であろう。

エンジンは双方ディーゼルエンジンで、航続距離などに差はない。

違いを見れば、重量と火力である。

ここから一見して、T-55が火力で優れ、M-48が防御力や居住性で優れていると分かる。

しかし、M-48の防御力はT-55に抗するのに十分な防御力であろうか?否である。防御は火力とのバランスで成り立つ。相手が貫徹力180mmを誇る100mm砲の場合、M-48の防御力は十分でない。仮に1対1

で向き合った場合、双方とも貫通されるからだ。

後年、パントン戦車は105mm砲を搭載し、T-55の火力を凌駕するが、T-55は100mm以上の戦車砲を搭載することは叶わなかった。唯一、イスラエル軍が105mm
L7戦車砲を搭載したが、ソ連ではすぐに、滑腔砲を搭載したT-62へと移行していく。

 

西側戦車は、T-55の登場を契機に主砲の105mm化を進めるが、その時期(1970年代)まではT-55の火力に劣る90mm砲や20ポンド砲を主装備にしていた。つまりT-55は当時最強の火力を持った戦車であった。

西側戦車はL7 105mm砲によって105mm化するが、もし、このコンパクトで強力なL7砲の開発が遅れていたなら、もっと長くソ連戦車の優勢は続いていただろう。

(センチュリオン TOP10、8位の優秀さはその主砲の優秀さゆえ)

 

発展

T-54/T-55はソ連において大きな改良はなかったが、多数が生産され、今も運用されていることから、ソ連で第一線から退いた後に改良が行われた。

改良点は弱点の防御力とFCSで追加装甲とレーザー測遠器の装備が多い。

イラク軍のT-55エニグマ
イラク軍のT-55エニグマ

中東戦争で多数を鹵獲し、その後自軍装備に加えたイスラエル軍はL7 105mm砲装備のチランや、

イスラエル軍 T-55の改良型Tiran戦車
イスラエル軍 T-55の改良型Tiran戦車

砲塔を取り除き、重装甲の歩兵戦闘車として改良したアチザリットは別格の改造型

イスラエル軍アチザリット戦闘兵車
イスラエル軍アチザリット戦闘兵車

この装甲車は、戦車としては防御の貧弱なT-55でも、他の装甲車に比べると強力な装甲を持っていることを改めて示している。戦車の装甲防御は、戦場では無類の強さを発揮するのだ。

 

まとめ

同時代戦車と比較しての火力の優秀さ、完成された機動装置、一程度の走行防御、生産性、実戦での活躍、そして何よりも、中戦車・重戦車といった区分をなくし、一つの主力戦車で火力・防御力・機動力のバランスのとれた戦車が可能であることを実証した戦車として、歴史に残る名戦車と言える。

 

 

戦車TOP10 第2位 パンター戦車

第二次大戦のドイツ戦車パンターです。

Panzerkampfwagen V Panther 制式番号:Sd.Kfz.171

パンター戦車
パンター戦車
パンターG型後期型
性能諸元
全長 8.66 m
車体長 6.87 m
全幅 3.27 m
全高 2.85 m
重量 44.8 t
懸架方式 ダブルトーションバー方式
速度 46 – 55 km/h(整地) 27 – 33 km/h(不整地
行動距離 170 – 250 km
主砲 70口径75 mm Kw.K.42 L/70(79発)
副武装 7.92 mm MG34機関銃×2(4,200発)
装甲 砲塔前面110 mm 傾斜11° 側・後面45mm 傾斜25° 車体前面80mm 傾斜55° 側面40mm 傾斜40° 後面40mm 傾斜30°
エンジン Maybach HL230P30 水冷4ストロークV型12気筒ガソリン 700 hp (520 kW)
乗員 5 名

 

タイガー戦車と並んで有名なドイツの最優秀戦車。

Ⅰ号戦車から続く第二次大戦中に開発されたドイツの主力中戦車。

Ⅴ号戦車(Panzerkampfwagen V)と呼ぶが実際はⅥ号戦車のタイガー戦車よりあとに制式化されている。

 

戦車は第一次大戦で生まれ、第二次大戦で大きく発展した。塹壕戦という形態を一気に陳腐化させ、装甲化した機械化部隊による機動戦略が作戦の基本となった。まさに陸戦の王者になったと言ってよいだろう。

この機甲戦略を最初に実戦に用いたドイツで、その提唱者だったハインツ・グデーリアンは必要な戦車の性能を思い描いていたが、それを初めて具現化したドイツ戦車がパンターだ。

 

パンターはソ連のT-34を研究した結果を設計に反映させている為、傾斜装甲や東部前線の不整地を走行できる機動性を備えている。

開発にはMAN社とダイムラー・ベンツ社が競争設計に参加し、ベンツ社の設計はT-34に形状が似ている。

パンターの試作案
ベンツ社の設計はT34に酷似している

このことからT-34がいかに大きな影響を与えたか分かる。戦車史へ与えた影響を評価するならT-34がトップになることは間違いない。しかし、ここでの順位は影響でなく、実戦での性能を評価するのでT-34はパンターに劣る。これは、単に後から開発されたからパンターが優秀という以上に、革新的な技術力を導入し、利用できる資材、戦略を考慮して、最も戦場に必要な性能を備えた戦車を送り込めたということが重要なのだ。

 

 

T-34とどちらが優秀か

T34/85
T34/85

では、T-34よりパンターは優れているだろうか?

勿論である。しかしながら、これほど無意味な考察はない。両者とも当時与えられた任務に最適で他を寄せ付けない性能を発揮して戦いに貢献したからだ。

それでも、無理やりにでも優劣をつけようとするなら、、

 

T-34は当然85mm砲装備型を相手に検討する。

パンターとT-34が合いまみえた場合を考えればすぐに結論は出る。T-34ではパンターは倒せないであろう。装甲も火力もパンターが勝り、より遠距離で有効な攻撃を加えることが出来る。重量はパンターの方が重いが、それに十分な機動力を与える機関を有し、優秀なトーションバー・サスペンションによって不整地でもT-34に勝る機動性を誇る。

 

世間にある大きな誤解の中に、ドイツ戦車は火力装甲に優れるが鈍重というのがあるが、あれだけの重量を駆動できるエンジンとトランスミッションを開発できたのがドイツだけであったとこを忘れてはならない。資源が乏しく生産力に劣るドイツが、米国やソ連の戦車と対するのに、相手が持っていない技術を使わないということがありえるだろうか?兵器は常に戦う相手を考えて設計される。それなら、相手にない能力を加えより有利に戦闘できるようにするのが当然だ。

たとえ最高速で劣っても、レースで戦う訳ではないのでそれは関係ない。逆に不整地でスタックせず機動的な作戦を実行できるかがカギになる。パンターはその能力を備えていると言えるだろう。

 

結果的にドイツは戦争に負けるので、それによって戦車への評価が変わるのはありえることだ。しかし、現在に至るまでの戦車戦を研究してみれば分かるように、火力で相手に優れ、より遠距離から相手を撃破出来る性能というのは、戦闘において圧倒的な優位を発揮する。

また、重厚な装甲によって乗員を守ることは、資源の少ない国ほど重要なのである。たとえ敵の攻撃を受けても弾が貫通しないという安心感は戦場での行動に直結している。

 

T-34のシンプルさは良く評価される点であるが、簡素さは実際の戦車戦闘に置いては意味をなさない。それよりもT-34が登場時点において世界のどの戦車おも凌駕する装甲防御を持っていたことと高性能のディーゼルエンジンを備えていたことを最も評価すべきである。さらに、75mm砲装備で登場して後、パンター、ティーガーの出現を受けて85mm砲にすぐに換装できたのも素晴らしい。ソ連がT-34以降の新戦車を戦争中に投入しなかったのも、この戦車で大戦を勝ち抜くことが出来ると判断したのが大きな要因だろう。もし、ソ連がIS-3で完成させた対ドイツ戦車シリーズを早期に開発し戦争に投入していればそれがパンターを凌駕したかもしれない。

 

戦闘性能においてパンターはT-34を凌駕し、運用においても一定数の稼働が実現し、数千両の生産も行っていることから、総合的にパンターはT-34より優れた戦車であると言える。

 

火力

長口径の75mm砲、T-34やシャーマン戦車を1000m以上の距離から撃破出来る。より強力なスターリン重戦車であっても近距離なら正面から撃破可能。近づきさえすればどんな方向からでも撃破できるなら、戦闘はより柔軟に進められる。そういう意味で最適の主砲。

生産の簡略化において88mm砲に統一できなかった点が難点。

 

機動力

良く酷評されるドイツ戦車の機動性であるが、実戦において特別敵に劣るというデータはないのだ。戦争後期のドイツでは、常時、補給の問題があったので燃料や補給部品が欠乏するゆえ走行できなかったり故障したりすることが多くなったが、それはロジスティックの問題で、それをパンターの設計の責任にするのは強引だろう。

米国はシャーマン戦車を大量に生産し勝利に貢献させたが、大きく4種類の量産型があり、決して完成された設計ではなかった。あれだけの数がそろい、圧倒的な航空優勢があったにも関わらず、ドイツ装甲部隊に遭遇するとそれなりの損害を受け部隊は進めなくなった。連合国の兵士はドイツ戦車を恐れた。

ここからもドイツ戦車、パンターが優秀であったことが類推できる。

パンターの交差転輪
パンターの交差転輪

トーションバー・サスペンションは現代でも用いられる優秀なサスペンションの構造で、これほど戦車に適したシステムはなかった。車内容積を節約し、ほぼ理想的なばね特性を持つ。本来堅牢で大重量を支えるのに適している。60トンを超えるようになったレオパルドやM1でも用いられていることがそれを証明している。

地雷の被害を受けやすいというのは言い過ぎ、故障の際に交換に手間がかかる点はマイナス評価になる。

イスラエルのメルカバ戦車がコイルスプリングを採用しているのはこの交換の手間を嫌ったからだ。機動性を発揮して本来被害を受けないように高性能のシステムを使うか、それとも、被害を受けることを前提で修理や交換の手間を少なくするか、これに一方的な結論を出すことは難しい。

ドイツでは戦車用の高出力のディーゼルエンジンを実用化できなかった。この点はT-34に劣る部分でパンターの欠点である。

しかしながら、総じて、パンターの機動力は大戦中最高レベルであった。

 

防御力

パンターの各部の装甲厚
パンターの各部の装甲厚

装甲防御や各種防御装備は高性能で大戦中の重戦車を相手にしても十分なレベルであった。正面装甲に比べ側面装甲が薄く、機関部付近の防御が万全とは言えないが、同世代の戦車の中では優秀だった。

 

シリーズの発展

初期のA型やD型を見れば各種欠陥が見られ、信頼性は戦闘においても問題になるほどであった。実際、クルスク戦において戦場での故障車が続出したことは大問題である。ここではロジスティックの影響を受ける部分は評価に加えないが、実際の戦場で戦闘中に故障が続発するならそれは実戦闘力の欠如と見て良い。

しかし、パンターはG型において完成形となり以降ドイツの主力戦車として活躍する。戦争末期にはロジスティックの面で稼働率は極端に低下するが、それは戦車の戦闘性能評価には関係なかろう。

 

ティーガーⅡとの比較

ティーガー2 SdKfz182 Panzerkampfwagen VI
ティーガー2 SdKfz182 Panzerkampfwagen VI

正面からの戦闘性能において同じドイツのティーガーIIは傑出している。あれを量産し戦場に部隊として投入できたのはドイツの戦車技術がどれほど高度であったかを証明している。

しかしながら、パンターのとの比較においては、無駄に火力と防御を強化して機動力が低下し、それによって実戦での総合的な戦闘能力ではパンターと差異がないのだ。攻勢的な作戦で機動的に動くのに難があった。20トン以上の重量増加に関わらずエンジンやサスペンションがパンターと同等であるという点からも、ティーガーⅡが重戦車ないしは駆逐戦車的な位置づけであったことが分かる。東部前線でT-34の集団相手にいくらティーガーⅡが強くても相手を補足することが出来なかったであろう。ティーガーⅡの機動力不足は致命的と言える。

 

以上のように、

戦車として火力と装甲防御の絶対的な必要性を満足しつつ、十分な機動性を与え、高度な完成度でまとめ上げられたパンターは第二次大戦において最高の戦車であり、後世の戦車の発展を考えるなら、未来を先取りした戦車といえる。それらを評価し、戦車史上第2位とする。

【陸軍-AFV-ドイツ-現用】戦車TOP10 第6位 レオパルド1

第1位のレオパルド2とともに先代も登場し、なんと第6位。
第2世代の戦車はどれもぱっとしないが、最も切実に大規模な機甲戦の可能性があった時代の戦車である。
西側にとって、ソ連とワルシャワ条約機構軍の機甲部隊は核兵器以外では、最大の脅威であった。そして、西ドイツはその最正面にあった。
桁違いの数を有する東側の戦車に対して、それに抗する機甲部隊と戦車を整備することは西ドイツにとって軍事的に必須事項であった。
これは、中東のイスラエルに似た状況といえる。
その切実さが、この第2世代の傑作戦車を産み出した。
 
全長

9.54 m

車体長

7.09 m

全幅

3.25 m

全高

2.61 m

重量

40 t

懸架方式

トーションバー方式

速度

65 km/h(整地)

行動距離

600 km

主砲

51口径105mmライフル砲L7A3

副武装

7.62 mm機関銃MG3i ×2

装甲

砲塔60 mm
防盾52 mm
車体前面70mm

エンジン

MTU MB838CaM-500
4ストロークV型10気筒ディーゼル
830 馬力 / 2,200rpm

乗員

4 名
 
現在からすると、戦後第2世代のMBTの位置づけはあいまいである。
ソ連のT-55戦車に対抗して、1960年代から1970年代前半までに登場したMBTと言うべきだろうか。
西側の場合、51口径105mm砲、ステレオスコープ式の測遠器、多燃料ディーゼルエンジン、NBC防御などが基本的な装備で、
割りに軽装甲で機動性を重視した設計のものが多い。
この時期には、MBTの役割がはっきりしてきており、軽戦車や重戦車という区分の戦車が開発されなくなり、戦車=MBTという形になりつつあった。
 
MBTの定義があいまいな事と同じように、戦車の設計にもあいまいな部分があり、第3世代戦車のように、各国が姿形まで似た戦車を開発したのと対照的に、
第1世代のM46からそのまま進化したM60のような「らしい」戦車もあれば、スウェーデンのStrv103のような無砲塔の戦車まである。
 
さて、この第2世代のMBTの中で比較すれば、レオパルド1戦車が、最も優秀で実用性の高い戦車であることは疑問がない。
ドイツが、戦後のブランクを経て、この傑作戦車を開発できたのは偶然ではない。
彼らは、そのブランクのリスクを警戒し、試作・テストを繰り返して、技術的な実証を十分に行い開発したのだ。
これは、同じく敗戦によりその技術的な資産を失った日本も同じで、第2世代最後の74式戦車の開発の前に、
技術実証試験的に61式戦車を開発したのと同じ意味を持っている。
 
ただ、ドイツと日本との違いは明確である。歴史的に積み上げられた技術的なセンスだ。
かたや無敵のティーガー戦車を作った国、かたや最後まで実用的な戦車を持たなかった国、この差がその戦車開発に現れている。
例えば、エンジン。日本製のエンジンも優秀だが、性能の限界点近くでは、蓄積されたセンスが足りない日本では追いつかないものがあった。
エンジンの構造そのものは発明されてから半世紀ほどでほぼ固まったが、燃焼のタイミングやピストンの応力制御や駆動ギアとの関連でのシリンダの回転の制御など、
実に細かいノウハウが必要な部分が数多くあり、それは直ぐに得られるものではない。
アメリカがM1にガスタービンを採用したのも、細かい蓄積されたノウハウより、アカデミックな部分での研究成果に自信があったからだろう。
 
第2世代最高の戦車のレオパルド1は、他世代の戦車との比較でも優秀と言えるだろうか?
イエスである。
第2世代戦車は軽装甲で、中東戦争での戦訓があって以降、設計思想の失敗と思われている。
戦車に必要な装甲は、「MBTの主砲以外の地上兵器に対して無敵」であればよい。
レオパルド1戦車開発時の「MBTの主砲以外の地上兵器」とはどんなものであったろう。
対戦車ミサイルはようやく照準線合致方式(目標に目印を合わせ続ける)が実用化され、命中率がある程度上がり始めた。
しかし、人間の手で照準し続けるので、安定化されていない装甲車の上で機動を繰り返しながら照準を続けることはできない。
つまり、あくまで防御兵器で、攻勢局面での機動戦には向かない。
このように、まだミサイルがそれほど脅威でないなら、それへの対処を、リスクの大きい装甲での対処より、
機動力やシルエットの低減で対処するのは間違いではない。
まして、戦場での最大の脅威が核兵器であった当事、重装甲より機動性を重視するのは当然である。
 
もちろん、核戦力の脅威が減り、軽量の対戦車兵器が発達してくるにつれ、レオパルド1は改良され、時代の要求に答えてきた。
この懐の大きさもこの戦車の優秀さと言えよう。
しかし、ドイツ戦車は優秀である。