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特攻というシステムについて

特攻というシステムについて
特攻機に使用された三菱A6M3「ゼロ戦」米艦船に突入する特攻機

このところ、中国との摩擦もあって、日本人の中に多分に右翼的なムードがある。
その中で、「特攻」という攻撃方法を感傷的に、それを日本という国民に固有の愛国心の現れと肯定的に捉える人がいる。

旧海軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の性能とその搭乗員を美化した作品などが典型だ。

元軍人(航空自衛隊)で、学生時代、フック教授から「軍事化」のテーマについて学び、現在も根っからのハイテク軍事マニア(死語)としてこれについて、軍事理論として考察してみよう。

特攻とは、旧海軍が大戦末期に考案した、海軍機による米艦船への体当たり攻撃を目的にした海軍特別攻撃隊の名称の事である。鎌倉時代の蒙古襲来時の「神風」の名称もある。
陸軍も同様の部隊を結成したが、実際は、体当たり攻撃自体は個々人や個々の部隊によって開戦初期から行われていた。

自殺的な体当たり攻撃は日本に限られたものでなく、戦況が追い詰められていたナチスドイツでも、空襲に来た爆撃隊へ体当たりするなどの攻撃があった。
これは、戦況が有利に進んでいた米国や英国でも見られ、大戦以前の戦争でも見られ、事例には事欠かない。

しかし、特攻が、真の意味で「特別」なのは、近代的な軍隊組織そのものが、自殺を前提にした攻撃部隊を正式に結成して、それを目的に専門的に訓練を行い実戦で運用したことだ。

日本は開戦時にも特殊潜航艇、「甲標的」(機密保守のための名称)を使った非常に危険な攻撃を行っている。特殊潜航艇「回天」真珠湾攻撃時に、魚雷に運転席を付けただけのような潜航艇をパールハーバー沖まで運び、そこから乗り込み湾内に入り、停泊している艦船に決死の攻撃を行うのである。
これは最新の記録では、侵入した5隻のうち1隻の攻撃成功が推察されている。
計画段階より出撃艇の回収の見込みは少なく。当時の山本司令長官もこの計画に難色を示していたほど危険な作戦であり、実際、出撃艇全てが帰還せず、捕虜になった一人を除き全員が死亡した。(九軍神)
攻撃成功率20%、致死率100%の作戦である。

現代でも、シールズなどの特殊部隊によって、敵勢力圏停泊地への潜入攻撃方法は存在しているが、非常に危険な任務で、相当の訓練をもってしても、現地での海洋条件などにより成功確率が低く、特に攻撃した兵士を、潜水艦などで発見されずに敵地から回収するのが困難である。
つまり、旧日本軍は開戦時より致死的な特殊作戦を立案実行していたということである。

このような、成功率が少なく、致死率の高い戦術は他にも多数ある。
一般には、物陰に隠れた兵士がロケット弾などで戦車を攻撃するのは簡単そうに思われているが、これは並大抵の事ではない。
今のような小型である程度の距離(50から100メートルほど)から攻撃できるRPGのような兵器が少なかった大戦初期には、多数の爆薬を束ねたものや、場合によっては手りゅう弾と地雷で即席に作ったようなものや火炎瓶で攻撃を行わねばならず、高速(不整地の戦場では時速十数キロ)で移動する戦車の進路を予測して待ちかまえ(重い爆薬をもって戦場を走って戦車を追いかけることはできない)、幸運にも目の前に戦車が来ても、敵歩兵の支援をかわしつつ爆薬を設置するのは非常に難しい。
仮に設置に成功しても、簡易な爆薬では確実に戦車を破壊できる保証はなく、もし攻撃に成功しても、敵戦車の突破が続けば、自分の今隠れている塹壕は占領されてしまうので、自軍が反撃に成功しなければ、前線の敵側から脱出しなければならない。

即ち、歩兵が、特別な対戦車兵器を持たずに戦車を攻撃撃破するのは生還率が低い危険な攻撃なのだ。
だから、激烈な地上戦のあったドイツやソ連では、戦車を1両破壊するごと、特別な受章があり、この撃破章を何個も持っているような歩兵は勇敢な歴戦の兵として尊敬され認められた。

これの事で解るように、戦争において、死をかえりみない決死の攻撃戦術というのは、国を問わず、戦況を問わず存在していたということなのだ。

では、何故、日本の特攻隊は「特別」なのだろうか?

これを考察するには、
「玉砕」を参考にすると良い。

ガダルカナルでの戦いの際、日本軍は補給を絶たれ、何度かは、戦うために、そして最後には脱出のために米軍の包囲線を越えて艦船を突入させた。
しかし、そういった努力の甲斐なく、島で孤立した日本軍は全滅した。

これを日本海軍・陸軍当局は「玉砕」と称して、生きて俘虜の辱めを受けずの精神の華々しい戦術とした。
実際には何度も補給を試みて、最期は派遣艦艇の損失も覚悟して、本来輸送艦ではない駆逐艦まで使って兵員の脱出を試みたのだから、全滅するのは意図したことではなく、補給を軽視して島での戦闘に固執した結果の戦術上の失敗であった。

これを軍は、日本軍人の精神論に置き換え、自らの失敗を隠ぺいしたのだ。
まあ、百歩譲って、国民向けのプロパガンダとして、士気高揚のため失敗を隠すことはしょうがないとしても、戦いを指揮した者たちが、何の批判も受けることもなく、この後も同様の作戦を指示・指揮し続けたことは大問題である。
これは、軍幹部が、戦争が行き詰って、何ら戦果を挙げられないのに無理な戦略をとり続け、失敗すると前線の兵士を犠牲に全滅させて、逆に「玉砕」だと美化することによって作戦指揮に対する批判をかわそうとしていたためだ。

おそらく、
戦争中期からは米軍によって太平洋の全前線への補給線が維持できなくなっていたため、
軍幹部は、何か攻勢的な作戦を行おうとしても、失敗するだろうと解っていたと思われる。
つまり、今後、太平洋戦域では、拠点となっている島々が徐々にやせ衰え、順番に全滅すると解っていたはずである。
その上で、軍はそれを「玉砕」戦法として美化し、自らの敗戦の責任を言い逃れる「戦法」としたのだ。

サイパン、硫黄島、沖縄など、この後の戦いを詳しく見ても、前線の兵士・指揮官が現実的な戦術を立案実行しているのに反して、安全な本土で命令する軍首脳は、何かを「決断」することで責任を負うことを極度に恐れ、立案当初の作戦が実行不可能な状況になっても、決して変更せず、ましてや、公式に負けを認めるような退却をさせることはなかった。
だから、いつも、楽観的な情勢判断で小規模な作戦を始め、戦況悪化にともない、逐次戦力を追加して犠牲を大きくして、もう追加の兵力さえ送れないほどになると「玉砕」しろと、暗に言い含めるような命令を出す。
ここでも、「そこで死ね」と言わないところが臆病者の最たる所以である。

「絶対に撤退するな、退却するより全滅しろ」というのは、大戦中、どこの国でも見られた命令である。
米軍も、ドイツ軍のアルデンヌ攻勢の際に、部隊がバストーニュで包囲された時には「死守」せよと命じている。
バストーニュの戦いでの米101空挺師団

しかし、全滅してでも戦うというのは相応の作戦上の利益が無ければ軍全体にとっては不利益となる。優秀な兵士と装備を失うし、のちの士気にも悪い影響が出る。通常、兵士は実戦で最初の半年を生き抜けば、急激に生存率が高まる。新兵が行いがちな致命的なミスが無くなるからだ。また、実戦上での現場指揮官である下士官や士官は簡単に訓練して育て上げることができない。長く経験を積み、部隊員の能力や反応を見極め、任務地の地理などを熟知しなければならないからだ。そういった兵士を失うことがどれほどの損失か理解できるであろう。
それでも死守するというのは、そこが戦略的要衝で、かつ、全滅までの時間が全体の戦略にとって大きな利点となる場合だ。
例えば、独ソ戦でのスターリングラード包囲戦でも、ソ連軍が包囲されているときには時間が味方であった。独軍の補給線は延びきって長期戦に耐えられず、ソ連軍はウラル地方の工場から装備の補給が送られ、シベリア前線から転戦させる部隊が向かっていた。市街戦では独軍は機動力を発揮できず、じりじりと消耗していった。1日経つごとに独軍は不利になり、その分、ソ連軍は有利になっていたのである。戦場の兵士には酷な命令であるが、ソ連がここを死守したのは戦略的に正解であったといえる。
もちろん、これは独軍がスターリングラードの占領にこだわり、不利な状況になっても撤退しなかったから、結果的に正解であったとも言える。もし、スターリングラードの守備隊攻略後に、あっさり退却していたなら、消耗していた第6軍はなんとか生き残り、何十万という兵士がその後の戦いに参加できたであろう。衆知のように、戦争指揮に介入したヒットラー総統はスターリングラードの死守を命じ、何度も撤退の機会を逃し、大軍を無駄に失った。

ドイツでは軍指揮官に全滅するまで戦うことが特別素晴らしいことだという意識はなかった。これは降伏するということではない。特に、独ソ戦ではお互い捕虜をほとんど捕らず虐殺(もしくは過酷な収容所)していたので、降伏=死と思っていた。それでも、「死守」しないのは、戦力を維持して、前線を下げ、もう一度戦う方がより効果的だと分かっていたからだ。また、部隊はおおよそ30%程度死傷すると急速に戦闘力を失う、部隊として指揮命令系統が崩壊して統一した戦闘行動が取れなくなるからだ。死ぬまで戦おうにも、途中からは単なる標的になってしまうのである。

このように、日本以外の国では、「死守」命令はあったが、それを主たる正常な戦法として評価することはなかった。
日本が戦った太平洋の島嶼戦では、洋上の島という地理上の特性によって退却が難しいということも、玉砕戦法がまかり通った理由のひとつだろう。戦況が不利になり、制海権を失えば、米軍は哨戒機で島の沿岸を監視するだけで包囲を維持できるからだ。
もし、日本軍が退却するなら、部分的、暫定的にでも制海権を維持できている間に行わなければならず、それは戦闘のかなり初期に見極める必要がある。ガダルカナルでも、米軍が島の制空権、つまり制海権を確立したのは上陸して間もなくであった。上陸後、米軍が島の飛行場を整備して、そこへ航空隊を配備した時点で、もう日本軍には島の上空や周辺の海上を自由に利用できるチャンスはなくなった。
制海権を失ってからも、島の日本軍は粘り強く、かなりの間戦闘を続けることが出来たが、最終的に島から退却する手段はとっくの昔に無くなっていたのだ。部隊の機動性や戦略輸送の重要性を軽視して無理な部隊展開を行ったことがそもそもの原因なのだ。

これらの島々の防衛方法で、終戦間際になっても軍上層部には作戦の改善を試みることはなく、終戦直前の沖縄戦においても全く同じ戦法をとった。
これを見る限り、戦争指揮者たちは勝利のための方策を全く考えることなく、日々悪化する戦況を知りながら、自軍部隊を無駄に投入し、有効な戦闘を行わせることなく死なせていったのである。

これらの戦争指揮が、戦中においては勿論のこと、戦後も批判されることが無かったのはいろいろな理由があり、天皇の存在や戦後の「戦争タブー」の常識など大きな問題はあるが、最たるものは、当時の日本軍の官僚化と非人間性にあると言えるだろう。

議論しやすい官僚化から論じると、

肥大化した官僚組織では、その組織を守ることが最も重要な目的になる。旧日本軍が肥大化していたことには何の異論もないだろう。占領地では政治・経済のすべてを管理し、国内でも産業と司法組織を握ってほぼすべてを支配していた。
本来、戦争を行うことが目的の組織である軍隊であるが、業務の大半は戦時経済の統制と自国民の統治に振り向けられていたのだ。
現在の政府組織や自治体組織を見るだけで、それらの業務を肩代わりすることがとんでもない負担であったことは自明だ。
つまり、日本が総動員体制に入った時点で、軍隊は「戦争」という主たる目的を見失い、統治を目的にした政治組織に変貌していたのだ。
こんな組織では、当然、「戦争の勝利」至上の目的ではない。戦争に勝つことより、組織を守ることが重視され、反抗・批判を許さない自浄作用の全く無い組織になってしまうのは当然だ。

動員令により、日本国内のほぼすべての人員と資源を手にした日本軍は、本来の目的たる戦争勝利への方策を見つけられないまま、人員と資源を投入する先を戦地に向け、動員しては戦地で消耗させるという究極の消耗戦術をとったのである。これが軍隊を正当化し、いったん手にした権力を維持する唯一の手段だったのだ。
実際、戦争末期には戦力を国内で移動することもままならず、動員した人員を有効な部隊に編成することすら難しくなっていた。また、武器の生産も滞り、食糧なども運べなくなっていたので、都市機能も麻痺し始めていた。
軍は最終的に日本本土で大規模な決戦を予定して、物資と武器の備蓄に熱心だった。これは国外に物資を運ぶ輸送力が壊滅していたことから、自ずと備蓄された一面もあるが、特に地上戦力はかなりの量が備蓄されていた。しかし、部隊は全体的にあちこち分散備蓄していても、大規模な抵抗戦には用いることは出来なかったであろう。
沖縄戦でも県民すべてを動員して、沖縄防衛隊の第36軍は10万人近くの兵力を有していたが、米軍の砲戦力や兵器の能力、制海権・制空権を失ったなかでの戦闘では全く役に立たず、ゲリラ的な消耗戦術しか取れなかった。
本土決戦があっても、おそらくこれと同じような戦況になったであろう。


沖縄戦について(wiki)

ちなみに、沖縄戦においても、軍首脳部、大本営は一大決戦を行い、米軍を戦意喪失させるという無謀な作戦目的を有していた。大本営は戦争の作戦立案を行う部署だったので、軍隊内では「戦争勝利」を目指す数少ない部門であった。組織の肥大した当時の日本軍では大本営は統一した指揮を行うことは出来なかったし、作戦指揮に必要な情報も大本営に届くことはなく、各個孤立した戦地の軍司令部が独断で作戦を遂行していた。沖縄の第36軍は10万人程度の兵力で組織的な決戦を行うことは不可能と分かっていたし、決戦に際して必要な補給や補充があるとは信じていなかったので、最初から大本営の方針に反して自滅的な消耗戦を選択するしかなかった。

このように、指揮官が最初から自滅的な「捨石作戦」を目的にしている組織のなかで、各兵士の命の大切さや戦地の住民の生活などはどれほどのものだろうか?
おそらく、第36軍司令官、牛島満中将は戦闘の開始時から自決を覚悟していただろう。このような司令官の前で、指揮下の兵卒は自分の命を顧みる余裕があるだろうか?下士官や、下級の士官はどうだろう。彼らが部下の命を守ろうとするだろうか?自分が死ぬかもしれないという状況で、命が最も軽視された組織で兵士の命などいか程の価値があっただろうか?

軍への批判を許さず、軍の失敗を認めることもしない組織では、正当な批判さえ「おまえ死ぬのが怖いのか」と侮蔑できる仕組みが最も有効だったのではないだろうか。
この場合の「軍」はすでに実体を失った精神的な存在であり、それに天皇の存在が役立った。「軍」という精神的な存在の前では、東条英機大将でさえ一兵卒と変わらなかったと思われる。
この時点では、すでに「軍」はそれ自体が意思を持って自己保存を目指していたといえるだろう。

これほどまでに官僚化して、非人間化していた組織では、「特攻」というシステムを構築するのも簡単であったはずだ。通常の軍隊の中でも、組織の求心力を保ち、士気を上げる方法の一つが「エリート部隊」を作ることだ。
かつての近衛軍、親衛隊、ドイツのグロスドイッチランドなど例は多々ある。ドイツ「グロスドイッチュラント」師団
日本における「特攻」隊は日本におけるエリート部隊といえるだろう。戦闘において自滅的な戦法は常態化していたので、彼らが特別になるには、特別な兵器と特別な儀式が必要であり、それらが特攻機や回天であり、出撃前の各種イベントであった。
しかし、彼らがその一端を担った役割には、兵卒を自滅させ組織を守る目的しかなかったと言えば、それらの特別な兵器や特別な儀式がまやかしであったことを認めるしかない。

  • 既に自滅的な戦法は常態化していたこと。
  • 具体的実現性のある戦争勝利の方策がなかったこと。
  • 軍隊が日本の日常生活のすべてを統制する異常に肥大化した組織で、かつ、天皇の不可侵の統帥権という名目のもと、組織的な実体をもたない極度に神聖化された「軍」になっていたこと。
  • これらから見て、特攻隊が日本国民のための存在でなかったことは自明であり、戦争の勝利にも全く貢献していなかった。また、彼らにだけ特別な「死ぬ勇気」があったのでもない。おそらく、当時のほとんどの若者は「戦争で死ぬ」ことに憧れていただろう。それほど、命は軽視されたのだ。
    この命の軽視は、それ自体が、人間性への軽視に結びつく。これはどの戦地にも見られることだが、ふつう、人間は肉体の死と魂の死を切り離して考えることが出来ない。出来るという人もいるだろうが、実際にやってみると不可能だと分かる。

    イスラムの自爆テロ犯も、彼らの宗教指導者からこのように教育される。「死んだら天国へ行ける」「爆弾で死んだ人も天国へ行ける」「体はバラバラになるが魂は救われて天国へ行ける」と。子供たちにこれを信じるように教えるのは簡単である。
    そして、このような自爆テロを行っている組織とその組織員が、実際に精神的に幸福になれるだろうか?
    答えは否である。
    自分の命や体の痛みに共感することは、他者への共感の始まりであり、その共感が思いやりになり、それが感情になり、人間性の元になるからだ。
    正義や信念のために命(自分も他人でも同じ)を犠牲にすれば、それは人間性を否定することなのだ。
    人間性の否定は組織にとって利益になるだけで、組織の一員の幸福には寄与しない。

    また、ウェーバーの官僚組織論を見るまでもなく、組織は常に自己目的化して、組織から人間性を排除しようとする。

    例えば、死刑制度は理屈の上では合理的である。「目には目を」の理屈は子供にも分かりやすく、容易に支持される理屈だ。
    しかし、現実の死刑執行にはどうしても非人間的なシステムが必要となる。組織としては合理的で、大半の国民から支持されていても、個人として死刑に関わるときには平然といられないだろう。日本では拘置所の刑務官が死刑を執行するが、現場では非情なまでのストレスを与えている。
    刑務官は云わば、被害者の代理で復讐を行っているのであるが、実際に人の命を奪う行為を、この人がどこかでほかの人を殺したから代わりに私が復讐するのだと自分を説得するのは難しいだろう。実際には自分の家族が殺人の被害にあったことはないだろうし、目前の死刑囚には面識もない恨みもないのであるから。

    これを組織は強いるわけだが、ここに人間性の出番はない、人間性を無視しなければ成り立たない現場だからだ。

    同じことは、家畜の屠殺でも言える。これは経済システムが人間の感情を封殺することで成り立っている。
    理屈では、人間が人工的に育てた家畜を食べるために殺すのは合理的だろう、しかし、実際の屠殺場で、普通に動物食を食べる人がそれを見て関わって平静でいられるだろうか?というよりも、実際に家畜を殺すところを見たことがあるだろうか?

    このように、組織の中では合理的なことでも、個人にとっては非人間的で受け入れ難いことは沢山あり、我々は、普段沢山のことをシステムに依存したまま理解すらせずに見過ごしているのである。

    我々は全能ではないので、見過ごしているという認識をしっかり持つことしかできないのだが、それすらせずに、第二次大戦という遠い過去の見知らぬ世界を、華々しい映画や小説のなかでのみイメージを捉え、分かった気になっている。実際の戦争では生死がその全てなのだが、これだけを描くような映画や小説は存在しない。それはすでに物語ではないからだ。実際の戦争の生死にはドラマがなく、意義も正義もないからだ。

    ゆえに、特攻隊というシステムが非人間性を象徴するものだと認識しなければならない。